インバル&フランクフルト放送響のブルックナー交響曲第4番(1874年第1稿)を聴いて思ふ

bruckner_4_inbal_frankfurt直観、直感によるのか、あるいは思考、理性によるのか、どちらの判断が正しいのだろう?一般的にいわれるところもそうだが、僕の経験によっても前者による判断が概ね正しい。

ブルックナーの交響曲第4番(1874年第1稿)を聴いた時、感動した。整理されていない荒削りな音楽に、それでいてそのあまりの新鮮さに心奪われた。大人しい、理性的なブルックナーよりも感じるままに、ありのままに内面を吐露するブルックナーに惹かれた。旋律そのものが耳慣れていたものと大幅に異なること、そしてフレージングのぎこちなさにかえって「真実」を観た。何より作曲家の内側に響いた最初の音たちなのである。
特に、主部が同じくホルンの咆哮によって構成されるスケルツォ楽章に「相似性」を発見するものの、まったく別の音楽であったことに驚いた。そして、あの崇高なフィナーレも、随所によく知った旋律が現れるものの、やはりほとんど別の音楽に聴こえるところに、ブルックナーが常に自身の作品に疑問を抱き、推敲を重ねていたことが手に取るようにわかって面白かった。

その時僕は、通常耳にする第4番が確かに「まとまりのある」、より完成度の高い音楽であるのは確かだと思いつつ、それよりもこの人の創造の原点と本来の性質が反映されているだろう第1稿にも大いなる共感を覚えていた。

ぶつ切れのような休止や、唐突な音の強弱や・・・、いわゆるブルックナー的なものがストレートに詰まった作品の味わいたるや・・・。ブルックナーはやっぱり分裂気質だったのだろうか。他人からの忠告を受け、それをあまりに素直に受け容れ、結果、幾度もの改訂を重ねることで音楽の表面はより磨かれていったのだが、しかし、練磨されればされるほど、ある意味作品は彼の野人的本質から離れていった。

ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1874年第1稿)
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1982.9録音)

結婚への願望と同様、昇進と社会的地位の向上についても、ブルックナーは執拗といえるほどの欲求をもちつづけた。
根岸一美著「作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー」(音楽之友社)P89

初稿の特長はよく言えば情熱的。しかし、悪く言うとこの「執拗」という一言に集約されるのかも。
世間の風は冷たかった。いつの世も食えなければ天才といえども抹殺されるのだから。要は、大衆に受け入れられなければ生きていけないということだ。ブルックナーが常に作曲という仕事、改訂という作業に追われていたのはただ「生活するため」だったということなんだ・・・。

私の第4交響曲は完成しました。ワーグナー交響曲を、私はなおかなり改良しました。ワーグナー指揮者ハンス・リヒターが、ウィーンに来ていました。そして彼はいくつかの集まりのなかで、ワーグナーがこの曲を賞賛していたと語っていました。この曲は演奏されないのです。・・・ハンスリックが私にどんなことをしたかは、「アルテ・ブレッセ」の12月25日号に書いてあります。ヘルベックさえ、ワーグナーに助けを求めてはどうか、という始末でした。私にあるのは音楽院だけですが、それだけでは生活していけません。9月もそのあとも借金(700グルデン)しなければなりませんでした。飢え死にしたくありませんでしたので。
1875年1月12日付、マイフェルト宛手紙
~同上書P73

ウィーンに来たことの後悔、自分の人生に喜びも楽しみもないこと、リンツでの昔のポストに戻れたらどんなに良いかなど、この後も手紙には当時の嘆きの心情が具に語られているらしい。

自分の感性を信じること、すなわち「生きること」は大切だ。
しかし、身体を養うこと、すなわち「生活すること」はもっと大切だ。

なるほど、「生活する」ために、他人の忠告を素直に受け、常に自省し、弛まない努力で推敲を重ねたことがブルックナーにの生を長らえさせ、結果、未完を含める11の交響曲を生み出させたということ。しかも各々の作品にいくつもの別バージョンが存在することも世間が彼の作品を容易に受け容れなかったことに依る。後世の僕たちにとっては幸い。
いずれにせよ、大切なのは創造と挑戦、弛まない努力を続けること。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む