ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツのパーセル「めでたし!輝かしきセシリアよ」を聴いて思ふ

purcell_cecilia_gardiner5671970年のアメリカ。

セシリア きみは僕の心を傷つけて
日ごと 僕の自信を揺り動かす
ああ セシリア ひざまずいて頼んでいる
どうか帰ってきておくれ
(山本安見訳)

サイモン&ガーファンクルの”Cecilia”はこんな歌詞で始まる。
音楽は、手拍子やドラム・スティックを床に落として音を出したり、ピアノの椅子を叩いたりなど、ファンキーでリズミカルにもかかわらず、実は失恋の歌。
しかも、情けないかな、振られた男が「戻って来てくれ」と懇願する歌なのである。
ただし、興味深いのは、どんでん返しがあるところ。
何とセシリアは彼の下に戻ってくるのである。

やったぞ! あの娘がまだ 僕を愛してくれる
僕は床の上を笑い転げた
(山本安見訳)

音楽と詞の妙なバランス感がまた素晴らしい。平和だ。

あるいは、1692年のイングランド。

ヘンリー・パーセルの「聖セシリアの祝日のためのオード―めでたし!輝かしきセシリアよ」は、生誕を祝う音楽であるにもかかわらずどこか哀しい。
夭折のヘンリー・パーセルが晩年に生み出した作品は、自身の死を予知しているわけではないだろうに、明快な音調のうちにも不思議に寂寥感が伴うのである。
例えば、「愛のフルートと」における慈しみの重唱と後奏のフルートの安らぎに癒され、その静謐さを割る、続く「横笛と軍楽の音は」における金管の柔らかい咆哮に魅せられる。

音楽の守護聖人セシリアの前に跪き、パーセルは謙虚に祈る。
ガーディナーの生み出す音楽は実に軽快かつ明朗だ。しかしまた、殉教者聖セシリアの不屈の愛の前に、哀しみは拭えない。
ちなみに、冒頭シンフォニアには、ヘンデルの「アラ・ホーンパイプ」に似た旋律が現れる。これは、尊敬せしパーセルからの拝借だろうか・・・。

それから四半世紀を経て、1717年のイングランド。
ジョージ1世の舟遊びのために奏された「水上の音楽」はエネルギッシュかつ祝典的。
興味深いのはヘンデルの音楽にはパーセルのような哀しみが(少なくとも僕には)見えないこと。

・パーセル:聖セシリアの祝日のためのオード「めでたし!輝かしきセシリアよ」Z. 328
ジェニファー・スミス(ソプラノ)
ブライアン・ゴードン(アルト)アシュリー・スタフォード(アルト)
ポール・エリオット(テノール)
デイヴィッド・トーマス(バス)
スティーヴン・ヴァーコー(バス)
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1982.2録音)

神を賛美するのに楽器を奏でながら歌った聖セシリア。

また、セシリアは良い娘だ。
また同じことを繰り返すだろうに。
芯から優しいのである。

何百年という時と数千キロという空間を越え、聖セシリアとセシリアがつながるよう・・・。
すべてが美しい。
僕の支離滅裂な空想はどこまでも拡がる。

 

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2 COMMENTS

雅之

共感していただけるかどうかわかりませんが、私が芸術に求めているのは、「悲しみ」よりも「寂しさ」をどう料理してくれるかです。

今年は数々の著名音楽関係者が相次いで亡くなっていますが、それだって私に込み上げてくるのは「悲しみ」ではなく、失恋と同種の「寂しさ」です。

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岡本 浩和

>雅之様

なるほど!おっしゃりたいことよくわかりますよ。
著名な音楽関係者の逝去は、たくさんの遺産が残されているという意味で「寂しさ」は随分緩和されるように思います。しかし、忘れ去られないように(「寂しさ」を忘れないように)読み継いでいきたいとあらためて思います。

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