メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル

日本人は爺さんが好きなんだとつくづく思った。
メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル。
2年前、健康上の理由で一旦中止になった来日リサイタルがついに実現した。
僕にとっては3年半前の、庄司紗矢香とのデュオ・リサイタルの時以来の実演だが、さすがに齢93ともなると足元は覚束なく、明らかに足腰が弱っている様子で、痛々しい感すら覚えるステージだった。あの日あの時の衝撃はもはやなく、好々爺の奏でる枯淡の調べに僕はある種の戸惑いを感じながらも酔いしれた。

舞台下手から杖を突き、介助を得てゆっくりとピアノに向かうプレスラーの姿は一回り小さくなったように思われた。舞台上手2階といういつもの席からは、ピアノの屋根がちょうど邪魔をし、ピアニストの姿がほぼ見えなかったので、演奏中の表情は残念ながらわからない。曲間のブレイクもほとんどなかったせいもあり、まるで自動ピアノによるリサイタルのような錯覚すら覚えたほど。
しかしながら、さすがに音楽は老練の極みで、冒頭のヘンデルの「シャコンヌ」のときには涙が流れた。何て神々しい。ピアニストは何歳になってもピアニストなのである。何十年という時代を生き、アンサンブルで活躍したその経験は、間違いなく随所に息づき、たった一つのフレーズで聴衆を見事に感動させる力を持つ。

間髪入れず続けて奏されたモーツァルトの幻想曲とソナタという、全盛期の作品でありながら深い悲しみを湛える哲学的音楽が、老ピアニストの10本の指によってより純化され、あまりの透明さに僕は思わずのけ反った。幻想曲のコーダ直前の静寂の、光が射した一瞬を僕は見逃さなかった。そして、ソナタハ短調第2楽章アダージョの言葉にならない精神性。

僕は思った。生命力そのものは確かに落ちている。当たり前だ。エネルギーは外に拡散することなく、内側に静かに収斂されてゆくのである。これぞミクロコスモスの極小。それは後半のドビュッシーやショパンに明らかだった。

メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル
2017年10月16日(月)19時開演
サントリーホール
・ヘンデル:シャコンヌト長調HWV435~クラヴサン組曲第2番
・モーツァルト:幻想曲ハ短調K.475
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457
休憩
・ドビュッシー:前奏曲集第1巻
—第1曲「デルフィの舞姫たち」
—第2曲「帆」
—第8曲「亜麻色の髪の乙女」
—第10曲「沈める寺」
—第12曲「ミンストレル」
・ドビュッシー:レントより遅く
・ドビュッシー:夢
・ショパン:マズルカ第25番ロ短調作品33-4
・ショパン:マズルカ第38番嬰ヘ短調作品59-3
・ショパン:マズルカ第45番イ短調作品67-4
・ショパン:バラード第3番変イ長調作品47
~アンコール
・ショパン:ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)
・ドビュッシー:月の光~ベルガマスク組曲

音量を抑制し、響きも極力抑えたドビュッシーの前奏曲集からの5曲のあまりの美しさ。可憐な第8曲「亜麻色の髪の乙女」、そして、まるで辞世の句のように荘厳な第10曲「沈める寺」。さらに、なるほどドビュッシーこそが、20世紀ポピュラー音楽の嚆矢であることを明らかにする「レントより遅く」の洒落たセンスと、文字通り夢見るような「夢」の幻想。
何と、十八番のショパン「マズルカ」は、どれもがプレスラー的崩しが絶妙な絶品。特に、ロ短調作品33-4!!

ちなみに、予想通りアンコールの1曲目はショパンの「ノクターン嬰ハ短調遺作」。僕の主観では残念ながら3年半前のアンコールには及ばない。それでもゆったり弾かれたその音楽は、何とも静かで、また何ともキラキラと輝き、次のドビュッシーの「月の光」と共に、聴衆を圧倒した。弱った足腰で舞台の上手と中央を往復し、客席前方後方に愛想よく会釈を繰り返し、感謝を全身で表そうとする謙虚な姿に僕は再び感動した。

生涯現役であれ。
そして、挑戦し続けなさい。
僕はメナヘム・プレスラーの背中にそんな言葉を想った。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

8 COMMENTS

渡辺

渡辺です。

昨夜のリサイタルは、深い感銘を受けました。

私は1階席の中央左寄りでしたが、彼は表情を変えずに粛々と弾いていました。
自分の音楽に耽溺することもなく、真摯かつ謙虚に鍵盤に向かう姿は神々しく感じました。

アンコールの「月の光」は絶品でしたね。
あんなに透明感に溢れる演奏はなかなか聴けないと思います。

それでは、また。

返信する
岡本 浩和

>渡辺様

ですよね。
最後の熱狂的なスタンディングオベイションを含め、
あの場にいた聴衆は皆心底感激されたことと思います。
もちろん僕もヘンデルの冒頭から心に響き、涙が出そうになったほどですし、
ドビュッシーでもショパンでも、もちろんモーツァルトも心から感動はしたのですが、
一方で、言葉に表せない複雑な感覚に陥りまして・・・、(ネガティブな感覚ではないのですが)
たぶんまともに正面からきちんと聴くことができなかったのだと思います。
またお会いしたときにでもお話ししたいですね。
ありがとうございます。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む