エマール デ・レーウ指揮ASKOアンサンブル リゲティ ピアノ協奏曲ほか(2000.9録音)を聴いて思ふ

魂の声を聞くか、それとも心の声を聞くか。
我に固執していると吾には至らず。
鎧を脱いで、魂に直接触れてみよ。
夜があっての昼。闇があっての光。
いかにも暗中にあるように思わせるジェルジ・リゲティの音楽に差し込む一条の光を発見したときの恍惚たるや。管弦楽のための「メロディーエン」の不気味な美しさ。言葉にならぬ。

ナチの収容所から生きて帰った者はごくわずかの数しかいない。この事実は、夢想だにしなかったようなこの世界に直面して人間性がまともに反応した場合どうなるかということの証明となっているだろうか。一体どれだけの数の人々が収容所に着いて数日いやしばしば数時間のうちに耐えきれずに死んでいったことだろう。アウシュヴィッツに生き残ることができたという人は、誰でも、ただ幸運、忍耐、意志、抵抗というようなことだけで生きのびられたのではない。たしかにこういう要素も私たちが助かったうえに大きな働きをなしている。だがもし私たちが収容所に入った瞬間、稲妻のようなひらめきで次の事実を理解しなかったら、これらの要素も決して十分ではありえなかったはずである。すなわち、ここでその場で屈してしまわないためには、私たちがそれまでもっていたモラル、”人間性“文明の諸前提というものの大部分を捨て去り、あらゆる手段をあげてこれから入っていかねばならない新しい世界に、その思考方法に、その習慣に、その感情に、その教育理念に、そしてその法則に同化しなければならないのだということを理解しなかったら。
シモン・ラックス、ルネ・クーディー/大久保喬樹訳「死の国の音楽隊—アウシュヴィッツの奇蹟」(音楽之友社)P15

父と弟を強制収容所で喪ったリゲティの音楽に暗い影を感じるのは、あるいは壮絶な悲哀を見るのは、その原体験によるところが大きいからだろうか。モラルや人間性文明の大前提を捨てねば生き延びていけなかったという収容所において、いかに常識や執着を容易く捨てられるかどうかが鍵であったことは、リゲティの創造の革新にも少なからず影響を及ぼすようだ。だからこそ、彼の音楽にはいつも光があり、希望がある。

リゲティ・プロジェクト
・管弦楽のための「メロディーエン」(1971)
・13人の器楽奏者のための室内協奏曲(1969-70)
ラインベルト・デ・レーウ指揮シェーンベルク・アンサンブル
・ピアノ協奏曲(1985-88)
ピエール=ローラン・エマール(ピアノ)
・トランペットと室内オーケストラのための「マカーブルの秘密の儀式」(1974-77/1991改作)(エルガー・ハワース編曲)
ペーター・マスーズ(トランペット)
ラインベルト・デ・レーウ指揮ASKOアンサンブル(2000.9録音)

エマールのピアノはいつも激しく軋む。あらゆる感情を一つの塊にしての、まるで集中砲火。複雑な音楽ながらどこか懐かしさと親しみやすさ(?)を伴う(5つの楽章を持つ)ピアノ協奏曲。終楽章の狂乱(?)の様子にこそ生の喜びがある(と感じるのは僕だけか?)。
圧巻は、歌劇「グラン・マカーブル」からアリアをコンサート用に抜粋編曲した「マカーブルの秘密の儀式」(ストラヴィンスキーを髣髴とさせる、否、もっと過激か)。

われわれが今日、この地上で賞賛しているすべてのもの—科学、芸術、技術、発明—はただ少数の民族、おそらく元来は唯一の人種の独創力の産物であるにすぎない。こうした全文化の存続もまた、かれらに依存している。かれらが滅亡すれば、かれらとともに、この地上の美しいものも墓穴に落ち込むのだ。
アドルフ・ヒトラー/平野一郎 将積茂訳「わが闘争—Ⅰ民族主義的世界観」(角川文庫)P375

あえてこの妄想の論をここで挙げるのは、独創力が唯一の人種に与えられたものではないことを示すため。「美しいもの」は決して滅びることはない。ジェルジ・リゲティ96回目の生誕日に。

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