「私の道」と題する、白血病で亡くなる数年前のいわば決意表明。
時を得たかのごとく、「健康上の危機」という形をとって試練がやってきます。何か月もの間、自問する日が続きました。「私は人間として、また芸術家としていかに生きてきただろうか? どちらの道もまだたどることができるのだろうか?」同時に、これまであなたに仕事上の最大の問題と申し上げてきた、つまり音楽上の表現に関する課題を解決するために、同僚との問題や、他人に対する共感、他の違う考えに対する理解などのため、これまで以上に取り組まなければならないことも自覚したのです。この時間は、私の人生上のあらゆる方向における課題を身近なものにしてくれました。私はその解決のために、自己満足したり、また抜け目なく妥協して生きてきたとは決して申したくはありません。病を得る以前からしていたように、自分の才能を信じて、これからも注意深く進んで行かねばと思っています。
~フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P31
困難や試練は人間を成長させる糧だ。
そういう体験から自分を信じることや他人に感謝できる心を学ぶのだから、人は誰しも心の成長のために生まれてきたのだと考えることができる。フリッチャイは続ける。
これまでに人から受けた助力は、まことに心に沁みました。病床から再び起き上がることができたとき、それはひとえに多くの人の善意によるものであることを覚ったのです。感謝したいと思います。
~同上書P31
若くして人が亡くなることで大きな悲しみに包まれるもの。
しかし、寿命という言葉通り、何を措いても本人に後悔はないことを信じたい。
現代音楽の需要拡大にも貢献したフェレンツ・フリッチャイの演奏には確信が垣間見える。鋭角のリズムと流麗な旋律を掛け合わせたような革新的表現に、音楽の美しさをあらためて思う。
すべてベルリンはイエス・キリスト教会での録音。
発病前のフリッチャイの大いなる気概と希望が刻まれる演奏に感動する。演奏はいずれも絶品。
ちなみに、当時欧州を旅した吉田秀和さんは次のように書いている。
もちろん、この両者(無調主義と新古典主義)の内で折衷的な立場にたつ音楽家もすくなくはなく、そういう人たちは、無調ではあっても、十二音の技法を原幻覚に守るというのでもなく、それを局部的に使ったり、複調も交えたり、または中世の古い旋法とか、ジャワのガムラン、ヴェトナム、インドなどの音楽語法を借用するとか、いろいろな手法を自由にとっているのがみられます。かつてのベーラ・バルトークやさきにふれたメシアンなどもそうですし、第二次大戦後に広く知られてきた、スイスのフランク・マルタン、ロルフ・リーバーマン、イタリアのダラピッコラ、マリオ・ペラガルロ、ドイツのハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、アマデウス・ハルトマン、オーストリアのゴットフリート・フォン・アイネムなどの名があげられます。ですから、この人たちにあっては、無調の音楽といっても、すでに、その精神的内容においては、必ずしも表現主義的な傾向と結びついているわけではなく、むしろ、技法としてこれをとり入れながら、透明な新古典派的な作風に吸収してしまっている人もすくなくありません。
~「吉田秀和全集3 二十世紀の音楽」(白水社)P332
戦後間もない作品群の内に光る未来への希望は、革新と保守の折衷という雰囲気か。
それぞれの作曲家が果敢な挑戦を見せる音の魔法。中でもアイネムのカプリッチョの素晴らしさ。何とも宇宙的な広がりが僕の心を特に打つ。
そして、終楽章のみの収録だがフォルトナ―の交響曲にはショスタコーヴィチの木霊が聴こえる。
音楽を一生懸命きき、そのことで心の働きをすっかり占められているような場合で、そこで鳴っている音を一つひとつ丁寧に追っているあいだに、それらの流れてゆく音が、いってみれば、水の上をゆく小舟か何かのように、水面に影をおとす—その影といっしょに、音楽がきこえているというような経験をするのだが、これは何と呼んだらいいのだろう? 音楽が影をひきずって進行する。私の側からいうと、音楽が二重写しになって、きこえてくるのである。
「音の影」
~「吉田秀和全集16 芸術随想」(白水社)P339