クリュイタンス指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン 交響曲第5番ほか(1958.3録音)

アンドレ・クリュイタンスがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共に録音したベートーヴェン全集は、どれもが最高の出来だ。どの瞬間にも漲る生命力と前進性は見事としか言いようがない。理想的なテンポで颯爽と、しかし、決して軽くならず、重厚長大なドイツ精神と軽妙洒脱なフランス的エスプリの混淆した屈指のベートーヴェン。録音から60余年を経ても色褪せない完全なる調和がそこにはある。

レオノーレ序曲第3番の、一聴、内燃するパッションとエネルギーについ引き込まれてしまう。怒れるベートーヴェン、というより、慈しみの精神を内に置きながら、外面的には開放的で何と壮絶な音楽なのだろう。これでこそベートーヴェンが、「レオノーレ」という名の歌劇に込めた人類解放の、世界平和の礎となる思想にアクセスできる演奏だと僕は思う。

ベートーヴェン:
・レオノーレ序曲第3番作品72b
・交響曲第5番ハ短調作品67
アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1958.3.10, 11 &13録音)

極めつけは交響曲第5番ハ短調。
この、あまりに人口に膾炙した人類の至宝たる交響曲が、これほど密度高く、そして、優美に、同時に堅牢に表現された例が他にあろうか。音楽は尻上がりに調子を良くし、中でも第2楽章アンダンテ・コン・モトの、じっくりと丁寧に音楽を紡ぎ、聴く者を恍惚とさせる方法に僕は感涙する。第3楽章スケルツォは何とも明るい。この喜びに溢れた表現は、クリュイタンスのベートーヴェンに底流する音調だが、ここから終楽章アレグロ—プレストに向けての精神の高揚は僕の心を徹底的に鼓舞する。「闘争から勝利へ」というモチーフ通り、何というモチベーティブな音楽なのだろう。

ベートーヴェンの音楽を真に理解するために、もう、ぼくたちは彼にまつわる伝説や知識のこうした過剰を、払拭するところから出直す必要があるようにおもう。さいわい今では、日本人のわれわれも彼の全作品を聴く恩恵に浴することができる。音楽は、一切の知識、一切の哲学よりさらに高い啓示であり、自分の音楽をきいた人はあらゆる悲惨から脱却してくれるだろうと、ベートーヴェンは言った。彼自身、しばしばたしかに貧窮に苦しめられ、難聴に泣いた。「耳さえこんなでなかったら」地球の半分を旅することもできたのにと、彼は言い、耳がきこえないためにぼくは厭人家と見なされるよう振舞う他にはしようがなかったのです、本当は少しも人間嫌いではないのにと、友人に愬える。
「日本のベートーヴェン」
五味康祐著「ベートーヴェンと蓄音機」(角川春樹事務所)P222-223

ベートーヴェンの音楽だけを無心に聴けと五味康祐さんは言う。
その通りだと思う。

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2 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。気に入りのクリュイタンスの「運命」を素晴らしい慧眼(慧耳?)で評されていることに感激し、コメントしています。クリュイタンスの「運命」に接するたびにいつも「やっぱりいいなあ。」と思うのはこんな演奏だったからか!と納得できました。特に2楽章の盛り上がりでは涙が込み上げます。それまで連綿と根気強く積み上げられてきたものが、ここで一気に高揚し美しく遠くまで視界が開け、神々しいような清々しさに包まれるような気がします。それはそのままベートーヴェンの心境であるように思えます。
 「レオノーレ」も、クレンペラーのそれと聴き比べたのですが、クレンペラーの場合、少しも心が動かないのです(すみません)。クリュイタンスの「レオノーレ」では即心湧き立つ音楽に変わります。なぜそうなるのかわかりませんでしたが、岡本様が感じられた「慈しみの精神が内に置かれ、開放的で、壮絶。世界平和の希求につながる演奏」だったからであったことに納得です。
 クリュイタンスの「運命」、「これほど密度高く、そして、優美に、同時に堅牢に表現された例が他にあろうか」との言葉を忘れないようにしたいと思いました。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様
僕の感じ方はともかくとしてあらためてクリュイタンスのベートーヴェン全集の素晴らしさを痛感する今日この頃です。ちなみに、「レオノーレ」序曲第3番についてはどちらかというと僕はクレンペラーが好みです。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=30692

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