ゲルギエフ指揮キーロフ劇場管 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」ほか(1999.7録音)

一世紀前の果敢な挑戦。志向は違えども、それぞれの創造力たるや言語を絶する。彼らが後世に与えた影響は計り知れない。同時に、彼らはいずれも孤高の存在だ。

いまや語り草となる世紀のスキャンダル。

彼(ディアギレフ)の不安には十分な根拠があった。われわれは「レ・シルフィード」で公演を始めた。そして最初の休憩が終わり、「春の祭典」の幕が上がってから数分後には、観客席の一角から怒鳴り声が響き、他の席からは静かにするように求める大きな声が続いた。騒ぎはやがて耳をつんざくほどの騒音になり、音楽がほとんど一音も聞こえないままダンサーたちは踊り続け、オーケストラも演奏を続けた。そして怒鳴り声は演奏が続いている場面転換の間もやまず、とうとう一部の観客の間で殴り合いが始まった。そこまでいってもモントゥーは演奏をやめようとはしなかった。われわれは一緒に舞台上にいたディアギレフ、そしてストラヴィンスキーもものすごく興奮していた。一方、ダンサーたちはまったく冷静で、この前例のない事態を面白がってすらいるようだった。ニジンスキーはといえば、舞台袖に静かに立っていた。彼はこの騒ぎが自分の振付よりもむしろ音楽に向けられた抗議であることに気づいていたが、自作がまたしても騒動の的になったことに動揺していた。ディアギレフは観客を鎮めるために思いつくことはなんでも行い、幕間に観客席の照明を可能な限り長く点けたままにしたので、呼ばれた警官たちが最も悪質な数名の妨害者を特定してつまみ出した。しかし照明が暗くなって第2場が始まると、また大騒ぎが繰り返され、バレエが終わるまで続いた。
セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P89-90

壮絶な記録。グリゴリエフのこの、当日の報告を読むだけで背筋が凍るほどの緊張感を覚えるが、「春の祭典」が聴衆に及ぼした影響はそれほど凄まじかった。
ちなみに、当時の状況を作曲者はどう見ていたか?

「春の祭典」は5月28日の晩に初演された。それが引き起こしたスキャンダルについて記すのは差し控えよう。それはあまりにも語られすぎてきた。私のスコアの複雑さは多数のリハーサルを必要としたが、モントゥーはいつもの心づかいと注意をもって指揮をした。舞台面での出来栄えについては、私には判断できなかった。すぐに笑いと嘲りを生じさせた前奏の最初の数小節を耳にするや客席から立ち去ったからだ。私は憤慨した。それらの嘲笑は、最初ばらばらなものだったが、やがて支配的となり、他方、それに反対する声も上がり、すみやかに凄まじい騒ぎに変わった。上演のあいだじゅう、私は舞台脇でニジンスキーの傍らにいた。彼は椅子の上に立ち、必死で踊り手たちに「16、17、18・・・」と叫んでいた(踊り手たちには彼らなりの拍子の数え方があった)。無論のことながら、哀れな踊り手たちには会場の騒ぎと彼ら自身の足踏みの音のせいで、何も聞こえなかった。私はニジンスキーの服を掴んでいなければならなかった。彼は怒り狂っていて、いまにも舞台に飛び出していって、悶着を起こしかねなかったからだ。ディアギレフは喧騒をやめさせようと、照明係に会場の明かりをときにはつけろ、ときには消せと命じるのだった。私がその初日について覚えているのはそれがすべてである。
イーゴリ・ストラヴィンスキー著/笠羽映子訳「私の人生の年代記―ストラヴィンスキー自伝」(未來社)P58

当事者たちの憤慨と落胆はどれほどのものだったか、想像を絶する。それでも反発が多大であればあるほど、衝撃が半端でなかったということだ。稀代の傑作は、1世紀後の今も恐るべき破壊力を持って僕たちに襲い掛かる。僕が触れ得た実演、そして録音の中で最も衝撃を受けた演奏。

・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1913)
・スクリャービン:交響曲「法悦の詩」作品54(1908)
ワレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・キーロフ劇場管弦楽団(1999.7.24-27録音)

第1部「大地への讃仰」最後の短い「賢人」から「大地の踊り」の異様なパッション!打楽器の怒号、金切り声を上げる管、そして跳ねる弦楽器。ゲルギエフの創造する終始暴れまわる音楽に、官能の真実を思う。恐るべきは、第2部「いけにえの祭」。後半「祖先の儀式」から「いけにえの踊り、えらばれた乙女」の時空を超える業の清算を描くような荒々しくも見事な音楽美に賞賛を送りたい(抑えて、抑えて、一気呵成の放出!!)。

一方、スクリャービンの「法悦の詩」に見る、内へ内へと抑えられる官能の神秘。

(1909年)2月21日にはモスクワでも「法悦の詩」が上演されたが、この曲についての受けとめかたはさまざまであった。一部の熱狂的なスクリャービン・ファンは、作曲家を舞台に呼び出すべく、大声で叫んだが、大多数の聴衆は、どう評価してよいか分からず、押し黙ったままであった。会場にいたウィーン交響楽団の指揮者ヴィルヘルム・ギールケは「天才だ、天才だ」と叫んでいたが、そばにいたタネーエフは、作曲家から意見を問われ、一瞬まごついて顔を赤らめた後、作り笑顔で「棒でなぐられたように感じたよ」と言っただけであった。批評家たちもとまどっていたらしく、「スクリャービンは、われわれの時代には理解されえないであろうが、庶民がこれを聞く耳をもつようになる未来には、理解されることになろう」といった、自信のない、意味不明な文章を発表していただけであった。
藤野幸雄「モスクワの憂鬱—スクリャービンとラフマニノフ」(彩流社)P189-190

革新とは必然である。保守にはまったく理解できない代物も、時期が来れば自ずと大衆(?)に受け容れられるもの。

静寂から大音響へ、音楽はここぞとばかりに鳴り渡る。何よりクライマックスでの阿鼻叫喚の恍惚。聖俗併せ飲む官能をこれほど見事に描写した例が他にあるのか。すべてを一に帰した単一楽章の音楽が、僕たちに襲い掛かる。ゲルギエフの解釈はどちらかというと俗物精神に傾いたものだと思うけれど、しかしそれがまたスクリャービンへの理解を後押しするのだ。

スクリャービンの顔は神経質で青白く、両眼はぼんやり上を見ていた。眼は褐色で小さいのに瞼は大きく見開かれ、視線は陶酔の表情をおび、野獣的だが猛獣的ではなく、小さな畑栗鼠のような光を見せた。かつての高慢さはなかった。「宇宙霊魂」と隣接し全世界の終末を考えるこの小男の表情は、控え目で詫びるような感じ。だがその礼儀正しさに、取り囲む人たちからの恐ろしい距離感があった。その後も彼の洗練された礼儀正しさは、対話の相手とのあいだに数百万キロの距離を作り出し、こうして彼の精神への他者の侵入を防いでいるようだった。
レオニード・サバネーエフ著/森松皓子訳「スクリャービン―晩年に明かされた創作秘話」(音楽之友社)P16

天才アレクサンドル・スクリャービンの風貌は独特だったようだ。

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