バシュメット モスクワ・ソロイスツ 武満徹 ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(2007.9録音)

武満徹が書いたプログラム・ノーツは実にシンプルだ。

この作品の、『ノスタルジア』《Nostalghia》というイタリア語のタイトルは、1986年末、亡命先のパリで急逝した、ソヴィエトの映画監督、アンドレイ・タルコフスキーの作品名に拠っている。そして、この曲は、タルコフスキーの追憶として作曲された。
短い序奏に続いて、独奏ヴァイオリンによって提示される、単純で沈痛な旋律が、全曲を支配している。時に細分化された弦楽オーケストラが、タルコフスキーの(映画の)特徴的なイメージである、水や霧の感覚を表わすが、全体は、緩やかで哀歌的な気分につつまれている。

「武満徹著作集5」(新潮社)P429-430

水と霧の感覚とはタルコフスキーの代名詞だが、そもそも武満作品の音調と雰囲気そのものともいえる。その点で、武満はタルコフスキーにシンパシーを感じていたのかもしれない。
過日とり上げたクラウディオ・アバド&アンサンブル・アントン・ヴェーベルン盤では、ノーノやクルターク、あるいはリームによってタルコフスキーが見事に音楽によって追憶されるが、ユーリ・バシュメットが珍しくヴァイオリン独奏を務めた武満徹のタルコフスキー・オマージュがまた美しい。まるで亡命先から祖国ロシアを思うその音調は、武満の言う通り、何と寂しく、哀感溢れるものだろう。

アンドレイ・タルコフスキーは語る。

私の義務は、ひとりひとりの人間の魂のなかに生きている独特の人間的で永遠なるものについて考えさせることだと私は考えている。しかし、人間の運命は人間の手のなかにあるにもかかわらず、この永遠なるもの、重要なものは、たいていの場合、人間によって無視されている。人間は幻の偶像を思い求めているのだ。だがすべては最終的に、人間の存在において唯一頼ることができるひとつの単純な基本要素、すなわち愛の力に還元される。この要素は個々の人間の魂のなかで成長し、人間の生活に価値を与えることができる。人生の至高の立場に至るのである。私の義務は、映画を見るものに、自分のなかにある、愛する欲求、愛をささげる欲求を感じさせ、美の呼び声を感じさせることだと考えている。
アンドレイ・タルコフスキー著/鴻英良訳「映像のポエジア―刻印された時間」(キネマ旬報社)P293

(昨日紹介した筑紫哲也さんのエッセーにもあるように)現代人が喪失してしまった内なる信仰を、文字通り「慈しみ」という本性を取り戻さんと映画を作り続けたことがタルコフスキー本人から明かされる。そしてそれは、武満徹が(意識したかどうかはわからないが)、音楽を創造せんとした理由と同期する。

・武満徹:ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(1987)
ユーリ・バシュメット(ヴァイオリン&指揮)
モスクワ・ソロイスツ(2007.9.26-28録音)

武満の想いが詰まった作品を、バシュメットが悲痛に、しかし愛をもって叫ぶ。
今日は武満徹の命日。


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