フレーニ パヴァロッティ ルートヴィヒ カーンズ カラヤン指揮ウィーン・フィル プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」(1974.1録音)

萩谷由喜子著「『蝶々夫人』と日露戦争 大山久子の知られざる生涯」(中央公論新社)が滅法面白い。

ところで、〈日進〉、〈春日〉の横須賀入港日の翌日にあたる1904年2月17日、両艦の生まれ故郷ジェノヴァの北東約百キロのミラノのスカラ座では、日本に材を採ったジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』が初演されていた。
これが世界中のオペラハウスで屈指の人気演目となっている現在から見れば信じ難い話だが、いくつもの悪要因が重なって、この初演日当日はスカラ座に野次と怒号が乱れ飛び、音楽が聴こえないほどの大混乱となった。

萩谷由喜子著「『蝶々夫人』と日露戦争 大山久子の知られざる生涯」(中央公論新社)P10

初演の大失敗を受け、プッチーニはオペラに改訂を加え、再演に向け発心したが、それだけでなく、環境要因が動いたこと、すなわち当時開戦まもなくの日露戦争で欧州の誰もが予想さえしなかった、大日本帝国がロシアに圧勝したことで風向きが変わった。

同年5月28日、ミラノの東約80キロの古都ブレシアのテアトロ・グランデでこの改訂版を上演したところ、今度は見事大成功を勝ち得る。
~同上書P11

天人合一とはまさにこういうことを言うのだろうかと思うくらい。

ちなみに、アーサー・M・エーブルとの対話で、歌劇「蝶々夫人」作曲中の自身の内面、つまり霊感の訪れについてプッチーニ自身が次のように告白していることが興味深い。

私はまず、内なる自我(エゴ)の全き力をつかむ。そうすると、何か価値あるものを生み出したいという、燃えるような欲求と強い決意を感じる。この欲求、この願望を抱くこと自体、自分が目標に到達できるのを知っていることなのだ。次に私は、私を創造して下さった力に烈しく請い求め、応えを要求する。この求め、というより祈りと、こうした高次の支えが授けられるという全面的な期待とは、一体になっていなければならない。こうして完全に信じ切ると、魂の中心である発電器から私の意識に向けて震えが伝わる道が開かれ、その後で霊感に満ちた着想が生まれる。
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P174-175

さらに巨匠はこう加えるのだ。

作曲する者は、研鑽を積み実践を通して、自らの技巧を磨き上げなければならない。だが神の助けがなければ、永遠の価値を持つものなど何も書くことはできないだろう。この偉大な真理がわかっていない作曲家によって、良質の五線紙がいかに大量に浪費されていることか。
~同上書P175

永遠の価値ある、普遍的な作品を生み出すのに自力だけでは無理だとプッチーニは断言するのだろうか。それにしても歌劇「蝶々夫人」改訂にまつわる天の采配、智慧の発露には見るものがある。しかしながら、そのこと(霊感ということ)に本人が気づかなければ、事は流れてしまうのだということを僕たちは忘れてはならない。プッチーニはいわば大失敗によってチャンスを得、そのチャンスを見逃すことなく流れに乗り、結果をものにしたということだと思う。

また、日本が大国ロシアを相手に予想外の健闘を続けているとの報は、オペラ『蝶々夫人』を必死で改訂中のプッチーニにも、驚きをもたらした。それまでの彼は、ヨーロッパを席巻中のジャポニズム主義に感化され、オペラの新境地を狙う意図から、日本を舞台とするご当地オペラに傾注していたにすぎなかったようだが、大国ロシアを相手に善戦を続ける日本に対し、心からの賞賛の気持ちがようやく湧いてきたように感じられる。日本人を見下す視線が、百日後のブレシア改訂版では、完全払拭ではないにせよ、あきらかに弱められているのだ。
萩谷由喜子著「『蝶々夫人』と日露戦争 大山久子の知られざる生涯」(中央公論新社)P165

自力3×他力7といわれる所以であろう(今は自力1×他力9だといわれるが)。

カラヤン屈指の名盤、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」。
わが日本を舞台にした懐かしい旋律と、甘美でとろけるような音楽満載のエキゾチックな悲恋の物語を、先般亡くなった松井守男画伯が愛聴盤の一つとして挙げられていた。何よりカラヤンの音楽作り、方法、センスは文句なく素晴らしい。

・プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」
ミレッラ・フレーニ(蝶々さん、ソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(ピンカートン、テノール)
クリスタ・ルートヴィヒ(スズキ、アルト)
ロバート・カーンズ(シャープレス、バリトン)
ミシェル・セネシャル(ゴロー、テノール)
マリウス・リンツラー(ボンゾ、バス)
エルケ・シャリー(ケート・ピンカートン、メゾソプラノ)
ジョルジオ・ステンドロ(ヤマドリ公爵、バリトン)
ハンス・ヘルム(神官、バリトン)
ヴォルフガング・シュナイダー(ヤクシデ、バリトン)
ジークフリート・ルドルフ・フレーゼ(戸籍係、テノール)
エヴァマリア・ウルデス(蝶々さんの母、アルト)
エルナ・マリア・ミュールベルガー(蝶々さんの叔母、ソプラノ)
マルタ・ハイグル(蝶々さんの従妹、ソプラノ)
ウィーン国立歌劇場合唱団(ノルベルト・バラッチュ合唱指揮)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1974.1録音)

僕がとりわけ惹かれるのが、第1幕フィナーレ、蝶々さんとピンカートンの愛の二重唱「夕闇が訪れた~愛らしい目をした魅力的な乙女よ」でフレーニとパヴァロッティのあまりに感動的な歌とウィーン・フィルの底なしの美しい管弦楽の響きが融け合う瞬間の魔法のようなひととき。あるいは、第2幕後半、パヴァロッティ扮するピンカートンが悲痛な思いを伝えるアリア「さらば、愛の家よ」でのいかにもという輝かしいテノールの愛ある(?)叫び。歌劇「蝶々夫人」はこの1セットがあれば必要にして十分だと思う。

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