何と表現すれば良いのか、十分にためを作って、ゆったりと流れる音楽の心地良さに、真夏の暑さを一時忘れて僕は没頭した。そこにあるのはもちろん指揮者の思念だ。あるいは、作曲家が作品に込めた愛情だ。
本当はもっと冷徹な、客観的な、無機的な(?)表現の方が音楽の本質を言い当てるのかもしれない。以前の録音にはそういう側面がもっと見られたのではなかったか。
実に人間的なシベリウス。大宇宙のフラクタルたる小さな(?)交響曲が、何と情感豊かに響くのだろう。なるほどこれは小宇宙の顕現だ。
シベリウスはその機智に富んだ性格と活力を老齢まで保持していた。よくアイノラ周辺を散歩し、幼い頃からずっとそうであったように自然を愛していたし、活発に文通を続け、放送を聴いたり、新聞雑誌を読んだりすることで音楽界の変遷を追い続けていた。1950年代に入ってからも、いくつかの作品の補筆修正に手を染めたりもした。秘書のサンテリ・レヴァスによると、彼は死の時まで心の中で作曲をつづけていた。
~マッティ・フットゥネン著/舘野泉日本語版監修/菅野浩和訳「シベリウス―写真でたどる生涯」(音楽之友社)P84
真に穏やかで静かなシベリウスの晩年は、精力的な作曲活動を退けて、とにかく自然と調和し、人と一つになり、老巨匠は日常を謳歌した。
ゲスト・コンサートマスターとしてルーカス・ハーゲンを迎えての交響曲第7番ハ長調。タイミングを見ると、決して遅いわけではないのだけれど、あまりに「ゆっくりに」聴こえるのは指揮者の魔法なのかどうなのか。不思議なものだ。
シベリウス:
・交響曲第5番変ホ長調作品82(1996.12録音)
・交響曲第7番ハ長調作品105(1995.9録音)
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
音楽は人の心を癒す。
私見だけれど、ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団による本録音をもってシベリウスの第7番の一推しとしよう(もちろん賛否両論あろうが)。