
残された作品にまつわる事実は、余程の資料が残されていない限り、明らかでないことが多い。否、本当のところは、作曲者の心のうちにしまわれてしまっているケースも多々で、真相など実はわからないものなんだ。この際、詮索などどうでも良いこと。むしろ作品そのものを謳歌し、空想することこそ音楽を楽しむ根本なのだと思う。
ベートーヴェンは作品11の三重奏曲に、珍しくもなぜクラリネットを使用したのか?
有名な説ではチェルニーの、ヤーンによるとあるクラリネット奏者のために書いたという伝聞があるが、これですら真偽のほどは確かではない。
こうした状況証拠を積み上げると、異例にクラリネットを配備しているOp.11はベーアの依頼によって書かれたのではないか、そして使用された旋律も彼の推奨ではなかったか、という想定の蓋然性も高まろう。さらに一歩脱線して、4月のピアノ管楽五重奏曲初演をきっかけにベートーヴェンと知り合った(あるいは仲が深まった?)ベーアが12月のヴァイグル・オペラの公演の反響を知って(あるいはそれに共演して?)、クラリネット向きの素敵な旋律を気に入り、ただちにベートーヴェンに作曲を依頼した(原作者の名を伏せて?)、と空想することも面白い。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P414
何にせよ、すべては状況証拠を積み上げた空想の域を出ない。
歴史とはおそらくそういうものなんだと思う。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオ。意気揚々とベートーヴェンは歌う。
いかにもベートーヴェンらしい優雅さと雄渾さを併せ持つ主題は確信に満ちている。
また、第2楽章アダージョは、この時期のベートーヴェンらしい、実に懐古的な音調で、クラリネットの音色が特に生き、心なしか(?)ケンプのピアノが泣いているようにも聴こえる。そして、ヴァイグルのイタリア語コミック・オペラ「船乗りの愛、または海賊」の第12曲三重唱の旋律を主題にする終楽章変奏曲の楽観よ。
ちなみに、ここでのケンプ、ライスター、フルニエの演奏から醸される、古の、どこか厳めしい印象が「流行り歌」の意味合いを一層芸術的に高い境地に持ち上げているようで、とても素晴らしいと思う。
一方、「幽霊」と題するニ長調作品70-1の、いかにも「傑作の森」たる絶頂期に生み出された作品らしく、一層充実する。何より第2楽章ラルゴ・アッサイ・エデプレッシーヴォのどこかくらい幻想よ。シェリングのヴァイオリンがまた哀感を誘う。
音楽作品とは基本的に独立したものだ。
聴き手が勝手に夢想し、自身の体験と結びつけて悦に浸って聴こうが、悲しみに溺れて耳にしようが一向に構わない。何にせよ愉しめば良いのだ。