年代の割には満足とは言えない音質と、細かいことを言えば演奏中のミスや乱れや、納得のいかない瞬間は多々あれど、晩年のクナッパーツブッシュの、紛れもない、渾身のブルックナーであり、交響曲第8番である。
おそらくリハーサルなどほとんど為されていないのだろうと思う。
しかし、その遅いテンポから(数年後のミュンヘン・フィルとのスタジオ録音を凌ぐ)繰り出される音楽の内なる思念は、ブルックナーへの愛情がひしひしと伝えてくれる。
とにかく第1楽章アレグロ・モデラートからクライマックスに向け強烈な響きが醸される(コーダの静寂の前の神がかり的咆哮)。
続く第2楽章スケルツォは息つく暇もない、ほとんど過呼吸になるのではないかと思わせる音圧が強烈。対してトリオの安寧が心を癒す。
第3楽章アダージョは、テンポの割りに決してもたれない。
それは誠心誠意の演奏であり、ヨーゼフ・シャルクが「静穏な神の支配」と名づけた楽章に相応しい、文字通りその顕現であるように僕には思われる。
最良は終楽章!!
ウェストミンスターの名盤の解釈をより生々しく、かつほぼぶっつけ本番で成し遂げた、コーダの最後の和音まで一切の無駄を感じさせない怪演にクナッパーツブッシュの天才を思う(コーダ直前の追い込み、第1楽章第1主題の再現の叫びに背筋が凍る)。
・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1961.10.29Live)
そのすべてが一世一代。
何としても実演に触れたかった。
ブルックナーはその晩年に至るまで、あくせくと目先のことに追いまくられ、立身出世をたくらみ、異性に執着し、ほとんど人間的成長を遂げなかったようにさえ見える。だがその作品は常に進化の途上にあり、とどめようもなく自らを深め、驚くべき高みに達していった。この矛盾を私たちは「天才」と呼ぶのである。
ブルックナーの『交響曲第8番』は92年3月、皇帝の援助を得て出版された。例によって例のごとく、ヨーゼフ・シャルクがかなり手を入れた改訂版だった。
~田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P279-280
コーダの解決には(激しい、怒涛の、目くるめく轟音発露の裡に)間違いなく安息がある。
そこに居合わせた聴衆は幸せだ。
ハンス・クナッパーツブッシュ59回目の忌日に。