
交響曲やピアノ・ソナタに比較して協奏曲はほんの少し格下だったようだ。
しかし、モーツァルトにとってピアノ協奏曲が音楽的真価を測るマイルストーンであったように、(わずか5曲しか残さなかったにせよ)ベートーヴェンにとってもピアノ協奏曲は重要なレパートリーであり、創作ジャンルだった。
正確には、ヴァイオリン協奏曲の編曲版も入れると6曲、さらには初期の習作まで考慮すると7曲ということになるが、さすがにまずはピアニストとして認知されたベートーヴェンだけあり、ピアノ協奏曲の出来は(それぞれの時期で)どれもが素晴らしい。
名演、名盤は多々あれど、(少なくとも僕にとって)最右翼はヴィルヘルム・バックハウスの新しい方の録音だろうか。
両曲とも推敲に推敲を重ね、幾度も改訂を施し、ついに出版されたものゆえ、その完成度は並々ならぬもの。モーツァルトやハイドンの方法を模倣しつつ、いかにもベートーヴェンにしか書けなかったであろう革新までが表現され、すべてが人類の至宝たる芸術作品だと思う。
無骨ながら自然体の表現はバックハウスならでは。
老練の安心感というのか、他のどんな優れたピアニストにもない慈しみと智慧に満ちるベートーヴェン。若き日に「鍵盤の獅子王」と呼ばれたピアニストの、決して勇猛などという言葉では表現しきれない、柔和さと音の隅々から滲み出る優しさがこの録音の最大の特徴だろう。
第2番変ロ長調第1楽章冒頭アレグロ・コン・ブリオから実に喜びに溢れており、聴いていて実に楽しいのだ。
ところで、23歳のベートーヴェンはニュルンベルクの実業家ア・ボックの記念帳に次のように書いたそうだ。
わたしは悪人ではありません。
年が若くて
血の熱いのが、わたしの罪です
わたしは悪いのではありません
ほんとうに決して悪いのではありません。
血潮のたぎりがわたしの心を黒く見せることがあっても
わたしの心は潔白です。
できうるかぎりの善行
なにものにも優って自由を愛し
たとえ王座のかたわらにあっても
決して真理を裏切るな。
君また遠くにあるとも
君を尊敬する友
(1793年5月22日)
~小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P7
何という慧眼!
やっぱりベートーヴェンは肉体が仮で霊性こそ真だとわかっていたようだ。
(かつてアナログの全集で擦り切れるほど聴いたバックハウスの演奏は実に美しい)