フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ワーグナー ジークフリートの葬送行進曲(1954.3.2録音)ほか

リヒャルト・ワーグナーの夢。

建物は丘の上に、遠くまで眺望のきく芸術殿堂として建てられるはずである。そのときには、国のすべての地方から人々が群れをなして集まってきて、高度な純粋な美を楽しむはずである。最高のものだけがもっとも威厳ある上演で提供されるはずである。国民自身が祝典の発起人で、祝典の享受者に少しの出費の要はないであろう。すべての協力者たちは、無報酬で時間と才能をこの大事業に捧げるにちがいあるまい、等々。友人たちの懐疑的な抗弁について彼はザクセン訛りまるだしで言い捨てる。ここではすでに民衆祝典劇場が継続的計画の様相を帯びている。のちに、『指環』執筆中に、この理念は再び前よりもより強く即興的によみがえってくる。彼はチューリヒから書いている。私は万難を排して『ジークフリート』(やはり『ジークフリートの死』が問題である)を作曲しよう、と決心したが、また同様に、この作品の上演を普通の劇場では決して許すまい、と決心した。それと対照的に、その実現のためにはもちろん1万ターラー以上が必要であるが、私にはきわめて大胆なプランがある。私は劇場をライン河畔か、スイスか、あるいはどこかに建てたい。そして、最上の歌手と音楽家を探させるつもりである。そのほか私の必要とするものはなんでも、設備全部が、こうした特別な場合であるからには特注されねばなるまい。その結果私には完全な上演が約束されるであろう。その暁には、私は招待状を私の芸術に心服しているすべての人々に発送し、かくして劇場を聴く耳をもった聴衆で満たし、1週間のうちに3回の上演—もちろん入場料なしで—を催すであろう。そのあとで劇場はとり壊されるだろう、そしてその事業は終りを告げるだろう、と。
「リヒャルト・ワーグナーの書簡」(1951年1月)
トーマス・マン/小塚敏夫訳「ワーグナーと現代(第2版)」(みすず書房)P236-237

トーマス・マンは、ワーグナーの空想が現実になったとき、確かにワグネリアンは熱狂的に迎えたことを記している。しかし、それは、ワーグナーが無料で提供しようとしていた夢が、実際には20マルクの入場料を徴収して、国王や貴族を迎えたことでいわば資本主義的ユートピアに変貌したようなもので(それは後世の、ビジネスたる現代のバイロイト音楽祭に引き継がれる)、最終的に盟友フリードリヒ・ニーチェが逃げ出したことを揶揄し、悲観するのである。

真の意味で、現代のワーグナー受容は、ワーグナー本人の理想からは程遠いのだろうと思う。
いまもって人気の高いフルトヴェングラーが残したワーグナー録音は、文字通り資本主義的ユートピアを生み出す魁になったのではないか。最晩年の、EMIへの録音を聴いて僕はそんなことを思った。

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」
・第3幕「ジークフリートの葬送行進曲」(1954.3.2録音)
・プロローグ「ジークフリートのラインへの旅」(1954.3.3録音)
リヒャルト・シュトラウス:
・交響詩「ドン・ファン」作品20(1954.3.2-3録音)
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28(1954.3.3録音)
リスト:
・交響詩「前奏曲」S.97(1954.3.3録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ドイツ芸術の神々しいばかりの再現に、録音から70年近くを経ても色褪せない絶対的表現に、まるで魔物が乗り移るかのような有機的な音楽に言葉がない。
1954年3月初旬のウィーンは楽友協会大ホール。
フルトヴェングラー十八番の「ジークフリートの葬送行進曲」の何という物々しさ。

あるいは、「ドン・ファン」の宇宙的拡がり。何かと対峙し、闘わんとする「ティル・オイレンシュピーゲル」の推進力(果たしてそれはペシミズムとの闘争だったのか)。

そして、「前奏曲」の大交響曲と見紛うほどの巨大さと、内なる神秘の表現に、これ以上はないと思わせるほどの音楽の力を思う。すべてに希望が漲るのだ。

われわれ人間は、まったく希望のない生活を送るようには作られていないのです。今日ドイツ全土をおおっているかに思われる恐るべきペシミズムは—ことにドイツに関するかぎり—明白な事実ですが、それに負けてはなりません。とにかく、われわれの行動や思索を、あまりにやすやすとペシミズムの餌食にしてはなりません。
(1954年3月10日付エーミール・プレトーリウス宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P293-294

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー死して早69年。合掌。


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