10年にも満たない短期間で(類稀なる)恐るべき進化を遂げたという点でザ・ビートルズとジョン・コルトレーンは双璧だ。
偉大なるジョン・コルトレーンが、アドリブによる音楽推進の可能性っていうものをですね、自分の生涯をかけて、個人の履歴がそのままモダン・ジャズの歴史になってしまうような神話的なパワーでもって体現してしまったってことが非常に大きいと思います。
バップから始まって、ハード・バップ、繊細と過激の両面にわたるモード作品、で、若手を登用した調性無視、かつ長時間の即興演奏。そして鈴(笑)と、コルトレーンはアルバムを出すごとに一歩一歩、それこそジャイアント・ステップで自身の演奏を更新していって、最後には当時のアメリカン・ポップスから見ると完全に異形の、ガルガンチュア並みに巨大で破壊的な音楽を独力で作り出してしまいます。で、電化と磁化による音楽制作の地殻変動が起こる直前の1967年に急逝するんですが、出世作である『ブルー・トレイン』からここまでたった10年間ね。この間にコルトレーンが振り撒いた幻想の総量はもの凄かった。この人、死ぬ直前は完全な宗教ジプシーだったんですが、それでも「聖者」扱いを受ける、という。
2004年12月2日「時間を超えること、時間と共にあること」~「即興」という巨大な概念を巡る音楽的試論
~菊地成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・キーワード編」(文春文庫)P245-246
コルトレーンはたぶんモーツァルトか誰かの生まれ変わりなんだと思う。
1965年録音(リリースは翌年2月)の問題作”Ascension”も、年齢を重ねるごとにその意味、意義が理解できるようになってきた。たぶんこのブログでもとり上げるのは3回目だろうか。猛烈なインタープレイ(ぶつかり?)と個々のソロパフォーマンスが相乱れる、文字通り「ガルガンチュア並みの巨大活破壊的な音楽」に身も心も恍惚とするのだ。
リリース直後にコルトレーン本人の申し立てにより差し替えられた(エルヴィン・ジョーンズのソロのない)Edition II(最初のテイク)。コルトレーンは即興的パフォーマンスにより時間を超えてしまおうと目論んだのだろうと思う。
・John Coltrane:Ascension Edition II (1965.6.28録音)
Personnel
Freddie Hubbard (trumpet)
Dewey Johnson (trumpet)
Marion Brown (alto saxophone)
John Tchicai (alto saxophone)
John Coltrane (tenor saxophone)
Pharoah Sanders (tenor saxophone)
Archie Shepp (tenor saxophone)
McCoy Tyner (piano)
Art Davis (bass)
Jimmy Garrison (bass)
Elvin Jones (drums)
ファラオ・サンダースの阿鼻叫喚のテナー・ソロが強烈!
あるいは、フレディ・ハバードのめくるめくうねるトランペット・ソロの解放!
ジョン・チカイのアルト・ソロの人声のようなユーモア!
そして、後半マッコイ・タイナーのピアノ・ソロの幸せ!
多種多様の、個性あふれるソロの展開が見事の一言に尽きる。
- (Opening Ensemble)
- Coltrane solo (3:10–5:48)
- (Ensemble)
- Johnson solo (7:45–9:30)
- (Ensemble)
- Sanders solo (11:55–14:25)
- (Ensemble)
- Hubbard solo (15:40–17:40)
- (Ensemble)
- Tchicai solo (18:50–20:00)
- (Ensemble)
- Shepp solo (21:10–24:10)
- (Ensemble)
- Brown solo (25:10–27:16)
- (Ensemble)
- Tyner solo (29:55–33:26)
- Davis and Garrison duet (33:26–35:50)
- (Concluding Ensemble)
こうやって楽曲の「動き」を理解した上で傾聴すれば、コルトレーンの真意がつかめるというもの。(大衆に決して迎合しないコルトレーンの)偉大な傑作だと思う。
※過去記事(2010年12月19日)
※過去記事(2017年1月17日)