ポリーニ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(2019.9.27Live)

ワーグナーとロッシーニの対話の中で、ベートーヴェンのことが語られている。
その昔、ロッシーニがベートーヴェンと会って話をした、そのときの状況はもちろんのこと、真偽のほどは別にして当時のベートーヴェンの状態が具に語られている点が興味深い。
やりとりは少し長いが、せっかくなので該当箇所を紹介したい。

ああ、短いものでした。おわかり頂けるでしょう、会話の半分は書面でなければならないわけですから。かの天才に対する私の大いなる賛嘆の念を、そしてそれを本人に伝える機会に恵まれたことへの深い感謝を述べますと・・・彼は、深いためいきをつき、一言だけ、私に答えました。「おお、ウン・インフェリーチェ(不幸なる者なり)!」
しばらくの沈黙の後、彼は、イタリアの劇場に関する数点の詳細や・・・有名な歌手らや・・・イタリアの劇場でモーツァルトのオペラがしばしば上演されるのか・・・ウィーンのイタリア歌劇団に私が満足しているか・・・について尋ねてきました。それから、《ゼルミーラ》の演奏や公演の成功を祈ってくれてから、彼は立ち上がり、私たちを扉まで送ってくれ、『とにかく、たくさんの《理髪師》を作ってください』と私に重ねて述べました。


ぼろぼろの階段を下りながら—荒れ放題の、あの貧窮を思い—偉大な人間への訪問から受けた印象があまりにも辛く、私は涙を抑えることができませんでした。『ああ、本人がそう望んでいるのです。彼は厭世的で、無愛想で、いかなる友好関係も維持できないのです』とカルパーニが言いました。

その晩、私は、メッテルニヒ侯爵邸で晩餐会に出席しました。先の訪問の動転さめやらず、あの沈痛な『ウン・インフェリーチェ』が耳に残っており、比して、私が、ウィーンの華やかな集まりで、現に敬意を払われていることに、正直申しまして、内心、困惑を禁じ得ませんでした。そのため、当代最大の天才に対し、あまりに気にかけず、あのような窮乏のままに捨て置くという、宮廷と貴族の行動について自分の感じたことを声高に、容赦なく、語るに至りました—しかし、カルパーニと同じ内容の返答を私は受けました。
エドモン・ミショット/岸純信監訳「ワーグナーとロッシーニ巨星同士の談話録(1860年3月の会見)」(八千代出版)P37-38

おそらくそれは1822年のことだと思うが、確かにこの頃、ベートーヴェンは「パン仕事」に追われ、困窮の最中にいた。しかし、このときのロッシーニの発言には幾分かの誇張があるように思われ、特に「ああ、本人がそう望んでいるのです。彼は厭世的で、無愛想で、いかなる友好関係も維持できないのです」に関しては直ちに否定したいところだ。
(その意味で、ミショットの報告には脚色が疑われる)

ベートーヴェンはロッシーニの才能を認めていた。まして当時のウィーンの町でロッシーニ旋風が巻き起こっている状況に愚痴を漏らしたというのだからこれまた興味深い。

その頃のベートーヴェンの作風は人智を越えたところにまで届いており、「パン仕事」とはいえ、一般大衆の理解の範囲を大幅に越えていたのだといわざるを得ない。

祈りのアリエッタ。

さすがに70年代の、研ぎ澄まされた技巧は陰りをみせるが、(タッチがいかに鈍かれど)熟練のベートーヴェンは、そのアリエッタをして僕たちに筆舌に尽くし難い光輝を示す。
ここには厭世はない。むしろ何という楽観の音楽なのだろうと思う。
地上を天国とすべくベートーヴェンは祈る。そして、ポリーニはベートーヴェンの書いた楽譜を思いを込めて丁寧に再現せんとピアノに向かう。
完璧なだけが音楽ではない。
ここにはむしろ真のベートーヴェンがある。

ポリーニの弾くベートーヴェンの作品106を聴いて思ふ ポリーニの弾くベートーヴェンの作品106を聴いて思ふ ポリーニのベートーヴェン ポリーニのベートーヴェン

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む