Non je ne regrette rien The Ultimate Best-Of Edith Piaf (2012)

ジェネシスへのフランスの観客の反応は、かつてエディット・ピアフやシャルル・アズナヴールに対して彼らが見せた反応に通じるものがあった。わたしたちの音楽にあるロマンティックな要素が好まれたのじゃないかと思う。もちろん物悲しさと高揚感のコンビネーションもあるだろう。ジェネシスの音楽には、悪い状況を逆手にとって気の滅入る日を逆転できる気持ち、内なるデーモンと戦い自分の人生の主導権を握ろうとする精神があったように思う。
スティーヴ・ハケット/上西園誠訳「スティーヴ・ハケット自伝 ジェネシス・イン・マイ・ベッド」(シンコーミュージック・エンタテイメント)P154

パリはオランピア劇場のジェネシス。
聴衆による会場での海賊録音ゆえ音は貧しい。しかし、バンドの醸すパワーと聴衆の熱気が感じられる完全無欠のパフォーマンスであることが肌を通して感じられる。

ダイナミックなパフォーマーであるピーターはステージ上で興奮していた。彼が初めてクラウド・サーフィンに挑戦したのはこの頃だったと思う。残念なことに観客は彼がやろうとしていることが分からなかった。海は二つに分かれ、ピーターは床に転落して足首を骨折してしまった。のちのライヴでも彼はダイヴを続けたが、観客も意図が分かって彼を支えるようになった。演出的にも見栄えがしたし、だいたいにおいては上手く行くことが多かったが、たまにセキュリティの人間が彼を楽屋に戻らせなかったことがあった。出演者だと分からなかったためだ。
~同上書P146

当時のピーター・ガブリエルの奔放な発想、そして突飛な行動。特に初期ジェネシスは聴くバンドというより観る(稀代の)バンドだ。
スティーヴ・ハケットの回想。

1972年になるとフランスでの人気が高まりつつあり、パリのオランピア劇場で演奏したときは鼻高々だった。あの場所は特別だ。それはわたしがあそこでエディット・ピアフが公演したことを知っていて、彼女の類まれな魂をアーティスト用のバーで感じたこととも関係しているかもしれない。ピアフのことはずっと好んで聴いている。彼女の歌声の中にはフランスのすべてが詰まっている。戦争、悲しみ、貧しさ、妥協、夜の女の苦しみ、哀しい客、無理矢理の座興。だが愛を求める大きなハートもある。すべての人々を代弁する歌声だった。時を超え、人間の精神をがっしりと捉えている。
~同上書P154

60年以上前に亡くなったシャンソン歌手の歌は、特別な音調で僕たちの心に迫る。
あの不思議な歌唱のもたらすエネルギーは永遠不滅で、特別なものだ。

・Non je ne regrette rien -The Ultimate Best-Of Edith Piaf (2012)

アンニュイで柔らかい(感傷的でもある)言語たる印象のフランス語に対し、ピアフの歌唱は堅牢たるドイツ精神を表わすかの力強さだ(あくまで個人的な感想だが)。
何より壮絶なピアフの人生の結晶こそ彼女の歌といえるが、人間の持つ喜怒哀楽の情感がこれほどまでにストレートに表現されることは少ないのではないか。何という心の、魂の叫びであることか。

こういう声に、あるいは生き様そのものにジャン・コクトーはいかれたのだろうと思う。
コクトーはピアフについて次のように書いた。

エディット・ピアフは決して存在しなかったし、これからも決して存在しないであろう。

そしてまた、彼女の訃報に接したとき、彼は次のように訴えた。

エディット・ピアフは、まさに偉大というべき存在だった。彼女の真似は誰にも出来ない。ピアフのような歌い手は、これまでにひとりもなかったし、今後も決して現れないだろう。

いすれも名言だ。ピアフはそもそも現実的な人間じゃないのだ。
ピアフが癌で亡くなったその日、悲嘆に暮れたコクトーも就寝中、後を追うように心臓発作で亡くなる。

たまにはシャンソンでも・・・ たまにはシャンソンでも・・・

コメントを残す

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む