
僕が初めてウィーンを訪れたのは平成元年(1989年)の8月だった。
夢にまで見た音楽の都。
美術館や王宮や、歴史的な建造物を見て回り、コンサートに通い、充分堪能したのだが、オフシーズンだったためムジークフェラインの中に入れなかったことだけが今でも心残りだ(その後2回ウィーンを訪問するが、いつも時期が悪く結局黄金の間で音楽を聴く機会はなかった)。
その2年前、最晩年のホロヴィッツがムジークフェラインでリサイタルを行っている。
巨匠がステージに現れるや、聴衆の歓喜の喝采がいかに待望だったかを示す。リサイタルの映像を観て、ホロヴィッツのピアニストとしての大集成がこのときだったのだと思った。
前年のモスクワでのリサイタルも素晴らしかったが、一層純白で、かつ活気のある内容に、よもや2年後に急逝するとは思えないホロヴィッツの好々爺たる姿に感激する。

そういえば急逝直後だったのだろうか、ワンダ夫人がそのことを思い出しながら涙をこらえ、インタビューに応えていた姿が何だかとても悲しくて、胸に迫った。
確かにホロヴィッツはこのとき生きていた。
曲間はお道化た表情を見せるものの、演奏中は真剣そのもので、紡がれる音楽はどれもがまるで「白鳥の歌」だといわんばかりの透明さに満ちていた。指慣らしをしてから徐に始まるモーツァルトのロンドから別次元。
シューベルトの即興曲の哀愁。
そして、思った以上にテンポをゆったりととる「子供の情景」が美しい(他の曲も圧倒的なのだけれど)。ショパンのマズルカはホロヴィッツの独壇場(独特のルバートがセンス満点!)。
自然体で、軽々と音楽を奏でる老大家のピアノの素晴らしさ。
(アルゲリッチがうっとりとしてしまうのもよくわかるというもの)
最高のマズルカの直後の(若き日の演奏と表現の根底の変わりない)ポロネーズはどうしても僕の趣味から外れており、正直あまり好みの表現ではない(もっと鷹揚とした、堂々たる構えがほしいと思うのである)。
アンコールの2曲(シューベルトとモシュコフスキ)はホロヴィッツの遊びの精神を体現する、喜びの名演奏だと思う。
久しぶりにウィーンに行きたくなった。