
ケルン歌劇場でのコンサートは、キース・ジャレットが後になって語りたがらない、善悪あらゆる因縁が実を結んだコンサートだった。キースとしては、プロモーターのヴェラのしつこさと熱にほだされて仕方なく弾いたという代物だ。
その原点は、2年前の「ソロ・コンサーツ」にあろう。
ローザンヌとブレーメンでのソロ・コンサートの模様を、初出当時レコード3枚組でリリースされたものだ。半世紀以上前のこと。しかし、その音楽は21世紀の今聴いても斬新で、また美しい。何よりおそらく完璧な状態のピアノで、かつキースの心身も健全だったときの即興演奏の様子が記録され、繰り返し聴くうちに魂にまで染みわたる。絶品だ。
Keith Jarrett = Solo Concerts 迂闊にも僕は長い間お蔵入りさせてしまっていた。
棚の奥で埃をかぶった状態にあった。
1991年にリリースされたPOCJ-2008/9が僕の手もとに今もある。
ここ数日、かの映画に触発され、僕は何度もこの音盤を聴いた。素敵だと思った。
あの時代、このスタイルは革新的だった。
果たしてこれはジャズなのか?
キースにとってジャンルなどどうでも良かった。
その気概は、マイルスから学んだことなのかどうなのか、おそらくそこには共同プロデューサーであるマンフレート・アイヒャーの思惑も投影されているのだろうと想像する。
しかし、演奏するのは孤高のキース・ジャレット自身なのだ。
彼のジャズ・レパートリーは、つねに同じ3つの分野を中心に展開されている。ほかのどの演奏者よりも新しい息吹を吹き込むスタンダード曲、自作曲、そして自由なソロ即興曲である。これに、バッハから現代の音楽まで、クラシックのピアノ楽曲が加わる。キース・ジャレットは、芸術に対する理解が驚くほど一貫している。そして、自己を放棄するほど批判的である。ローザンヌでのとあるソロ演奏中、インスピレーションが湧かなくなったとき、彼は立ち上がって、聴衆のなかに自分のために演奏を続けてくれるピアニストはないかと尋ねた。彼はそれ以上何も考えられなかったのだ。グレン・グールドやピョートル・アンデルシェフスキについても同じことが言えるだろう。アンデルシェフスキは、リーズにて彼が参加した唯一のピアノ・コンクールで、アントン・ヴェーベルンの謎めいた「ピアノのための変奏曲作品27」の第2楽章を弾き終えたあと、決勝進出者の有望株と目されながら会場を去り、それっきり姿を見せなかった。のちに彼は、一部の審査員は彼がこの作品を最後まで演奏しなかったことに気づかなかったと皮肉を込めて語っている。しかし、アンデルシェフスキが自らの意思で演奏を放棄したのは、彼自身が自分の演奏に満足していなかったからである。キース・ジャレットは、音楽への無条件の集中という、過剰なまでの要求を聴衆にも求める。
~ヴォルフガング・サンドナー/稲岡邦彌訳「キース・ジャレットの真実 ジャズピアノの歴史を変えた即興演奏とその人生」(DU BOOKS)P18
完璧主義者であったことの苦悩。
いつどんな状況であっても微動だにせずあることが無心であり、また無為だとするなら、その意味で、彼は天才ではなかった。
しかし、先日の映画を見て思うのは、少なくともあの描写がドキュメントであるなら、キースはとても繊細で、孤独で、自己中心的だった。(そうでないと、孤高の音楽は創造不可能)
Personnel
Keith Jarrett (piano)
個人的にはローザンヌでの一夜の記録に震える。
ここから(厳密にはその前の”Facing You”からだろうが)キースの、自己との闘いが始まったのである。
Part 2 はピアノとパーカッションの饗宴。何という愉悦!
ここではピアノは打楽器としても機能する。ベラ・バルトークが「ソナタ」や協奏曲で示したあの(命を養う)官能が、ジャズのイディオムの中で再現されるかのように喜びに溢れる音楽が披露される。
キース・ジャレットは、自分は終生ドラムを叩いてきたし、それが最初の楽器だったと言っている。たとえそれが事実として正しいとしても、誇張であることに変わりはない。キース・ジャレットの才能は、その楽器への興味が大きければ、どんな楽器でも学び、演奏するのに充分である。彼の充実したディスコグラフィを見てみると、キャリアの初期からさまざまな楽器を扱ってきたことがわかる。ドラムや各種打楽器、フルート、ゴング、タブラ、サクソフォン、エレキギター、エレキベース、ベル、ハーモニカ、バンジョー、チェロ、そしてピアノに加えて、パイプオルガン、ハモンドオルガン、エレクトリック・ピアノ、チェレスタ、チェンバロ、クラヴィコードといった鍵盤楽器まで。とはいえ、彼はもはや管楽器奏者や打楽器奏者として音楽史に名を残すことはないだろう。彼は長い間、偉大なジャズ・ピアニストのひとりとして、また卓越したクラシック・ピアノ奏者として確固たる地位を築いてきたのだから。
~同上書P18-19
確かに、その後のキースの即興は完全に一台のピアノに委ねられる、いわばピアノとの対話に変化して行く。この、ほんの少しの変化が垣間見えるセットこそ、即興詩人キース・ジャレットの原点なんだとあらためて思う。
とにかく感動しかない。
