
フランシス・プーランクと木管楽器。
いかにも都会的、いかにも洒脱。
あらえびすの時代、プーランクは存命だったが、「楽聖物語」のプーランクの項には次のように短く紹介されているに過ぎない。
六人組の一人、簡素な美しい作曲がある。「無窮動」は作曲者のピアノで入って居る。「田園詩曲」と「トッカータ」はホロヴィッツのピアノでこれは良い。「ピアノ三重奏曲」のピアノを作曲者の弾いたものも注目される。「オーバード」はピアノと十八楽器のための舞踊協奏曲、これもプーランクがピアノをひき、ストララムが指揮して居る。他に歌曲「動物小話集」をクロアザが歌ったのは洒落たものだ。作曲者のピアノ伴奏でバリトンのベルナックの歌った「バナリテ」「林の歌」の両歌曲集もよいレコードだ。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P320
プーランクは専らピアノの名手という印象の中にあるが、個人的には木管楽器を使った音楽を書かせたら天下一品、随一だと思う。晩年のフルート・ソナタなどその最たるものだが、他にも例えばパユの録音した、わずか13小節の短い、無伴奏の「廃墟を見守る笛吹きの像」の厳粛なる響きに思わず唸ってしまう。これは1997年に発見されたということだが、「1940年6月にドイツ軍の攻撃により廃墟と化したフランス中部の街、トゥールの人々への鎮魂の想いを表している」そうだ。
もちろんフルート・ソナタは絶品。デボストとフェヴリエによる録音は、まるでモーツァルトを聴くかのような光と翳のコントラストが見事に表現されていて、素晴らしい(フランシス・プーランクを聴く喜び、ここにあり)。
この作品は、プーランクがクーリッジ財団への条件として掲げた通り、完成の年、57年6月18日に、ストラスブール音楽祭で、ランパルとプーランクによって初演されたが、その前日に、非公開の最小規模の初演が、行われたというエピソードがある。
本番前日の朝、プーランクはランパルを呼んで、こんなことを頼んだ。
「今アルトゥール・ルービンシュタインが来ているんだ。あのソナタをとても聴きたいと言ってくれている。ところが、彼はあしたの本番より前にここを発たなくちゃならないんだ。だから今すぐ、もう一回リハーサルに来てくれないだろうか。」
ランパルは快諾した。そして、6月17日、ストラスブールのコンサートホールで、大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインを、最初のそして唯一の聴衆として、プーランクの《フルート・ソナタ》は披露されたのである。
~久野麗「プーランクを探して 20世紀パリの洒脱な巨匠」(春秋社)P317-318
最晩年の、オーボエ・ソナタも、クラリネット・ソナタも、どこか悲しく、寂しい音調を示す。自分の命がここまでという認識は本人にはなかったはずなのに、とても孤独なのである(死とは孤独な旅だと一般的に考えられているが、決してそういうものではない。死は生と同体ゆえ怖れるものではないことがわかったとき、音楽の聴き方も変わるのかも)。
(あるいは聴き手の思考の鎧が勝手にそういうイメージを植えつけているだけなのかもしれないが)
冒頭、弾けるクラリネット・ソナタがかえって悲しく響く。
第2楽章ロマンスがまた素敵。
そして、第3楽章アレグロ・コン・フォーコはいかにもプーランクらしい剽軽さと音楽の推進力。
(ミシェル・ポルタルの上手さ!!)
極めつけは、亡くなったデニス・ブレイン追悼のために書かれた「エレジー」。
近い人の死が続き、精神的に参っていたプーランクの、特殊な、否、特別な作品。
この作品は、プーランク作品の中でも特に不協和音が多く、悲痛な気分に支配されており、何より例外的なのは「十二音」の音列を用いていることである。
~同上書P323
本来の作風を超えたスタイルを避けてきたプーランクが、ブレインの死をきっかけに試みんとした革新的響き。シヴィルのホルンがこれまた素晴らしい。
