ドミンゲス アマデ エリザベート・ブラッスール合唱団 マルケヴィチ指揮ラムルー管 リリ・ブーランジェ 深き淵より(詩篇130)ほか(1959録音)

座右の名盤。
時々思い出しては聴きたくなるのがこのアルバムだ。
詩篇130番「深き淵より」の、絶望のあまりの深さと、敬虔な祈りと懺悔が自己発ではなく、主(しゅ)に依拠しているだろうことに関し、宗教に帰依する者の(ある意味)弱点だと僕はずっと思ってきた。(その弱さを、何と暗澹たる、しかし力強い音調でリリは表現するのか)
しかしながら、(7年の歳月をかけて完成させた)リリの音楽を聴きながら、「信」こそがすべての原点であることを詩篇第130番は示唆しているのだと今さらながら僕は理解した。行動も大切だが、心のあり方こそが真の赦しを獲得する術だと。神は罰を与えない。むしろ自らが自らを葬らんとする。それが大宇宙の摂理だとリリの音楽が僕たちに訴える。

詩篇第130番作曲の開始が17歳のときだから、もはやこれは人間業とは思えぬ神の御業。
(モーツァルトですらこんな音楽は書かなかった、否、書けなかった)

「詩篇130番」
深き淵より
主よ、あなたを呼びます。
この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に
耳を傾けてください。
深き淵より
主よ、あなたを呼びます。
耳を傾けてください。
主よ、あなたが罪をすべてに心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。


しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬うのです。
わたしは主に望みをおき
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして。
イスラエルよ、
主を待ち望め。
慈しみは主のもとに。
主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。

古い録音だからこその人間味。
聖なる音調より俗なる音調が優る、いかにも人間臭い音楽に、聖なる衣裳を着用したリリの俗なる本性を思う。

リリ・ブーランジェ:
・深き淵より(詩編130)(1910-17)
オラリア・ドミンゲス(コントラルト)
レイモン・アマデ(テノール)
・詩篇24(1916)
ミシェル・セネシャル(テノール)
・詩篇129(1916)
ピエール・モレー(バリトン)
・古い仏教徒の祈り(1917)
ミシェル・セネシャル(テノール)
・ピエ・イエズ(1918)
アラン・フォキュール(ボーイ・ソプラノ)
エリザベート・ブラッスール合唱団
イーゴリ・マルケヴィチ指揮ラムルー管弦楽団(1959録音)

マルケヴィチならではの挑戦と解釈の慧眼。
世界初録音。
リリの音楽を愛し、リリの音楽に酔う様子がはっきり伝わってくる。
この深遠なる世界。

ナディア・ブーランジェにとって、至福の時だったはずだ。実の妹の作品を音源化することは、彼女の長年の念願だった。1918年に24歳の若さで死去したリリー・ブーランジェの人生は、単に前途有望だったという言葉では語りつくせない数奇なものだった。少なくともある部分では、満ち足りた人生であった。生まれてからずっと虚弱で、しばしば重い病状に陥った彼女だったが、しなやかさと独創性をそなえた、きわめて美しい音楽を作曲した。彼女が薄幸で短命だったこと以上に大きな悲劇は、その作品が演奏会を通じて世に知られなかったことであり、レコード録音も今日に至るまでほぼ皆無だったことである。彼女の主要作品のうちの5作を世界初録音し、世に送ることにエヴェレスト社は誇りと使命感とを抱いている。
(余田安広訳)

リリ、133回目の生誕日に。

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