カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管 ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98(1996.10.21Live)

セルジュ・チェリビダッケは毒舌で有名だった。
数多の同僚に対して、その才能を認める発言は少なかったように記憶する。
例えば、カルロス・クライバーについても、あまりのテンポの速さに、音楽が音楽にならないのじゃないかなどというコメントがあったのではなかったか。

特に晩年のチェリビダッケの演奏はどれもが極端なテンポ設定で、実演で聴くならまだしも、あまりの遅さに録音ではついていけないと感じることも正直少なくない。
禅に開眼して以降の巨匠の演奏は、どれもが一点、呼吸を意識したもので、その造形の錬磨と併せて人間技を超えるものだということは明らかだが、音楽の活動性というか、生命力というか、あるいは推進力というか、そういう観点からはどうにも「?」を感じることもあるのである。

カルロス・クライバーの晩年のブラームスを聴けば、どうにもこの指揮者は風変わりな人であったのだけれど、間違いなく天才であったことがよくわかる。(音楽は形ではなく、心でするものだ)
チェリビダッケの信念とはことごとく正反対の、実に推進力抜群、生命力に富んだ、呼吸の深い演奏に度肝を抜かれる思い。
この演奏から30年が経過するが、世間一般の評判通り永遠不滅の、渾身の出来だと痛感する。

カルロス・クライバー指揮バイエルン国利管弦楽団 ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98

セルジュ・チェリビダッケはこのライヴの数ヶ月前に天寿を全うしていた。
果たして天から(地獄から?)彼はこの演奏を聴いていたのかどうなのか?
そして、どのように感じたのか? 伺ってみたいところだ。

・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(1996.10.21Live)

ミュンヘンはヘルクレスザールでの収録。
これまで繰り返し、幾度も観てきた映像だが、ライヴならではの瑕も表現の一つだと思わせるほどの、命懸けの棒に、僕はやっぱり感激する。
こんなにも生きた音楽が映像から十分伝わるのだから、実際その場にいた聴衆の感動はどれほどだったか。

過去の記事を久しぶりに眺めてみて、カルロス・クライバーの実演を今一度聴きたかったとあらためて思う。

カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル ブラームス 交響曲第4番(1980.3録音)

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