
フランツ・リストの数多の作品群の中で、唯一これは名曲であると、(リストを苦手とする)僕が太鼓判を押すのは、ソナタロ短調だ。超絶技巧の、いかにもリストらしい楽曲だけれど、単一楽章というフォーマットに、大宇宙と小宇宙のすべてがここに集約されていると言っても言い過ぎではない、大いなる神秘がここにはある。
曲は、4つのパートを持ち、提示部の主題は3つの動機で形成される。
3つの動機は全体に通じており、生きもののように都度変容し、木魂する。実に見事な音楽だと僕は感心する。
名演は数多あるけれど、随一は、若きマルタ・アルゲリッチが録音したものだろう。
(2018年に聴いた、ポゴレリッチの異形のリストは別として)
(あの時は、アルゲリッチの2倍の時間を要した)
彼女にとってホロヴィッツとは「ピアノが望みうる最高の愛人」であった。反対にホロヴィッツを憎悪する音楽家もいた。リヒテルはホロヴィッツの演奏を「耐えがたいほどにわざとらしく、汚く、浅はか」だと言った。追い討ちをかけるように「傲慢と愚かさの興味深いコンビネーション」だと、人となりについて指摘してみせたのはルービンシュタインだ。マルタはそんなこと歯牙にもかけなかった。どんな演奏のなかからでも聞きわけられるホロヴィッツの音色に魅了されていた。クリアで、心地よく、目も眩むほど豊かな残響。独創的で奇想天外なフレーズに酔いしれた。ホロヴィッツは傑出したピアノの秘宝によって音の色を無限に変容させた。古風な真のヴィルトゥオーソだ。速度で目まぐるしく聴かせるのではなく、くるくると変化する自分の気分と詩的な感覚に楽器を従わせることができる奏者だった。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P134-135
アルゲリッチは音楽の本質を見極めることができた人だった。
そして、彼女も同じく「くるくると変化する自分の気分と詩的な感覚に楽器を従わせることができる奏者」だったのだ。
リストのソナタロ短調にまつわる興味深いエピソードがある。
1976年にも彼女は娘のアニーと一緒にロサンジェルスでホロヴィッツを聴きに行った。彼はリストの《ロ短調ソナタ》を弾いた。終演後、母と娘はピアニストに賞賛の言葉を述べに行った。マルタの姿が目に入るとホロヴィッツは「ユー・アー・ザ・ベスト!」と叫んだ。おろおろしてマルタは言い返した。「いいえ、マエストロ、それはあなたです」ホロヴィッツの手に口づけし、相手を陶然とさせた。
~同上書P136-137
僕は、ホロヴィッツの弾くリストのソナタロ短調は知らない。おそらくホロヴィッツはマルタの弾くソナタロ短調を聴いていただろう。
ホロヴィッツも絶賛するマルタ・アルゲリッチのソナタロ短調。
・リスト:ピアノ・ソナタロ短調S.178
・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番ト短調作品22
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1971.6.23-25録音)
ミュンヘンはプレナーザールでの録音。
猛烈なスピードで描かれるリストの心象風景は、そのままアルゲリッチのそれを髣髴とさせる。ここにあるのは、パッション、すなわち情熱であり、受難だ。言葉の通り、背面には信仰がある。感化された音楽はもちろん聴く者を熱気で包む。
ほとんど金縛りに遭うかのように集中力を要する25分強。
緩やかなパートの柔和で煌めく音がまた素敵。
それこそ西洋二元世界の極致のような、聖と俗が入り乱れるリストの心の内を、マルタは見事に描き切る。
そして、16分余りのシューマンのソナタは、結果的に作曲家最後のソナタであり、同じくロマン派の擁する情念が奔出するアルゲリッチのピアノに、途轍もない劇性を思い、若き日のロベルト・シューマンの内なる想念の激しさを思う。
かんかんに怒っているローラントは詩を作れまい。恋している心は恋の話を一番しない。フランツ・リストの作曲にみられる不羈奔放な空想は、彼がこの間の事情を見抜くようになるまでは、形をとるに至らないだろう。創作の秘密の中でも、一番注意しなければならないのは、この事情を探求することだろう。幾分なりと前進しようと思ったら、この辺でうろうろしていてはいけない。
その反対に、中世の(絵画に出てくる)人物は、物質偏重も甚だしく、説明を書いた大きなレッテルを口からぶらさげている。— フロレスタン
「それが持続する瞬間の表象」
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P44-45
感情にのみ込まれていては真面な創作はできないとシューマンは言う。
音楽はあくまで形而上の、思考や感情を超えた魂の声を描くべきだと。
(真の傑作に説明は不要だ)


