Miles Davis Kind of Blue (1959)

僕にとってのマイルスの原点。
この、屈指の名盤が世に出るにあたって、革新者たる帝王マイルス・デイヴィスは何を意識したのか、そして、どんな行動をしていったのか、マイルス自身の自伝から読み取ると、様々なことが見えて来る。
しかし、その前に、ピアニストの変遷が、マイルス・バンドにどんな影響を与えたのか、マイク・モラスキーの著書を読むにつけ、マイルスにとってピアニストがいかに大きな役割を担っていたのかがわかり興味深い。

付け加えたいのは、デイビス自身が「このアルバムをビル・エヴァンスのピアノサウンド中心に企画した」と、はっきり証言していることだ。故に、曲作りの段階でエヴァンスの協力を求め、録音のセッションのために呼び戻し、全5曲のうち4曲でエヴァンスにピアノを弾いてもらった。さらに、エヴァンスがアルバムのライナーノーツを自ら書いた(ジャズにおける即興演奏を日本の水墨画に喩えた文章がいまだによく引用される)。
~マイク・モラスキー「ピアノから聴くマイルス・デイビス—モダンジャズのリズムセクション」(岩波新書)P107

脱退したピアニストをわざわざ呼び戻してまで録音するというのは前代未聞。
マイルスがビルに惚れた理由はどこにあるのか、モラスキーは、レッド・ガーランドと比較し、次のように書く。

ガーランドは主にリズム・プレイヤーであるのに対し、エヴァンスはハーモニーに重点をおくピアニストだ。

エヴァンスはハーモニーに重点をおきながら、バラードをはじめ情緒豊かな曲群、加えて『カインド・オブ・ブルー』のようにモード奏法を用いる曲群で最も本領を発揮するように思う。
~同上書P76

しかも、当時のマイルスが挑戦しようとしていたモード奏法に精通していたという事実が最も大きかったのだろうと思う。(ビルはマイルスの自叙伝にあるように勉強熱心だった)

ビルは、ラフマニノフやラベルやクラシックに関する多くの知識をバンドに持ち込んだ。アルトゥーロ・ミケランジェリというイタリアのピアニストを聴くようにも勧められて、聴いてみると、本当に惚れ込んでしまった。ビルの演奏には、いかにもピアノという感じの、静かな炎のようなものがあった。奴のアプローチの仕方やサウンドは、水晶の粒や、澄んだ滝壺から流れ落ちる輝くような水を思い起こさせた。だから、初めのうちはソフトなものを中心にして、今までとは別の曲をやっていた。ビルのスタイルに合わせて、バンドのサウンドをもう一度変える必要があったからだ。
~マイルス・デイビス、クインシー・トループ著/中山康樹訳「マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ」(宝島社文庫)P18-19

これは、マイルスがピアニストを中心にしてバンドのあり方、あるいは音楽の造形を考えていた証左だ。ピアノという楽器が、ジャンルを問わず音楽を創造する上でとても重要な役割を担うことがわかる。

奴がバンドと一緒に音階を弾くと、リズムをかいくぐるような感じがして、大いに気に入った。レッドはリズムそのものを生み出したが、ビルは控え目に抑えて弾いていた。だから、モードをやっている時は、ビルのやり方のほうがずっと効果的だった。レッドのことも相変わらず気に入っていて、たまに連れ戻すこともあったが、レッドはアーマッド・ジャマルのように弾く時が一番だった。ビルも少しはアーマッド的な演奏ができたが、奴がそうやると、少しうるさくなってしまったものだ。
~同上書P19

リズムよりもハーモニーを重視する、自身が求めているものに応えられる奏者を見つけ出すこと、それこそマイルス・デイヴィスのセンスの良さ。

ビルは、ラベルやいろんな作曲家に加えて、ロシア系アメリカ人の作曲家アラム・ハチャトリアンにも目を向けさせてくれた。彼の作品で興味を引かれたのは、そこで使われているいろんな音階だった。少なくとも何人かのクラシックの作曲家は、長い間同じような作曲法をしてきていたが、ジャズ・ミュージシャンには、そんな人間はほとんどいなかった。誰もがコードの書かれた楽譜を持ってきていたが、この頃のオレは、その種の曲はやりたくなかった。音楽的に厚みがありすぎると感じていたからだ。
~同上書P19

「モード・ジャズ」を開拓していくマイルスの革新の端緒にビル・エヴァンスが関わっていたことが面白い。

ビル・エヴァンスが、マイルスに与えた影響はことのほか大きかった。
先述のように、屈指の名盤「カインド・オブ・ブルー」の録音は、皮肉なことにビルが脱退した後のことだった。ビル・エヴァンスの在籍期間は短いが、ビルの脱退に至る形についてマイルスは次のように語っている。

ビルがバンドを去る原因になったいくつかの事柄に、オレは本当に腹を立てた。たとえば、バンドにいるたった一人の白人というだけで、何人かの黒人連中がした仕打ちだ。ジャズ界最高のバンドで、ギャラも最高なんだから、黒人のピアニストを雇うべきだなんて考えてる野郎がたくさんいたんだ。もちろん、オレはそんなことにかまっちゃいない。いつだって最高のミュージシャンが欲しいだけだ。黒だろうが白だろうが、青でも赤でも黄でも、なんだっていい。オレの望むことを演奏できるミュージシャンなあ、それだけで良かった。肌の色が原因で、ビルに馬鹿げたことが起きていて、居心地が悪いってことはわかっていた。奴はとても傷つきやすい人間だったから、連中が奴を嫌な気分にさせるのは簡単なことだった。それに、ビルの演奏は繊細すぎてスピード感や激しさが足りないと言う連中もいた。こんなことやツアーの問題やらで、自分の音楽ができる自分のバンドをやりたいという気持ちが強くなってしまったんだ。
~同上書P27

人種差別は、当時のアメリカの慣習だった、というか常識そのものだったのである。
そんなことが原因でビル・エヴァンスがバンドを辞めることになったという事実を知ったとき、僕は悲しくなった。(しかし、だからこそ、後のトリオなど名盤が生まれるのだけれど)

・Miles Davis:Kind of Blue (1959)

Personnel
Miles Davis (trumpet)
Julian “Cannonball” Adderley (alto saxophone except on “Blue in Green”)
John Coltrane (tenor saxophone)
Bill Evans (piano except on “Freddie Freeloader”)
Wynton Kelly (piano on “Freddie Freeloader”)
Paul Chambers (double bass)
Jimmy Cobb (drums)

半世紀近く前から幾度繰り返し聴いたことだろう。
しかしながら、真の味が分かってきたのはここ最近のことだ。
バラード中心の、すべてオリジナルで占められたこのアルバムの価値は、やっぱりビル・エヴァンスのピアノにあったのだとわかったとき、僕は膝を打った。

マイルス23回目の命日に”Kind Of Blue”を聴いて思ふ マイルス23回目の命日に”Kind Of Blue”を聴いて思ふ

「カインド・オブ・ブルー」誕生秘話。

1959年3月の初めに、「カインド・オブ・ブルー」を作るためにスタジオに入った。オレにトレーン、キャノンボール、ジミー、ポール、ウィントンというセクステットだったが、ウィントンは〈フレディ・フリーローダー〉1曲しか弾いていない。この曲名は、いつもジャズ・シーンをうろつきまわって、何かタダで手に入らないかと探していた知り合いの黒人に因んだものだ。残りの曲はすべて、帰ってきたビル・エバンスがピアノを弾いた。
~同上書P31

「カインド・オブ・ブルー」も、「マイルストーンズ」から始めたモード手法に基づいて作ったが、そこに、オレの記憶に残っている異なった数種のサウンドを付け加えようとした。子供の頃アーカンサスで、教会から家に帰る途中で聴いた、あのすばらしいゴスペルなんかをだ。あの時はなぜか、子供の頃に聴いたサウンドが甦ってきて、それらがどんな感じだったかを思い出しはじめていた。あの感じを再現したくなったんだ。
~同上書P31

幼少の記憶から生まれた名作に、ビル・エヴァンスのピアノは欠かすことができなかった。ゴスペルそのものは黒人文化の結晶だが、白人たるビル・エヴァンスがより洗練された西洋音楽の種を持ち込むことで、黒も白もない、中庸の、調和の傑作が創造されたのである。

So What

オレとビルは、ラベルの〈左手とオーケストラのための協奏曲〉とラフマニノフの〈協奏曲第4番〉に凝っていたから、これらの要素もすべて、あのレコードのどこかに含まれているはずだ。
~同上書P33

“Blue in Green”や”All Blues”にその片鱗が感じ取れる。そこはやっぱりバラードだ。

Blue in Green
All Blues

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