ワルター指揮ウィーン・フィル ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68(1937.5.3-5録音)ほか

ワーグナーの《ニーベルングの指環》全4作の一挙上演が、1876年の8月に行われた。この作品の規模は、普通のオペラの水準と比べても巨大で、上演時間は15時間を超えることもある。このサイクルを上演するために、ドイツの田園地方にあるバイロイトに特別の劇場が建てられ、観客はこの巨作のために然るべく4日を空けておいて、一日に一作を観るのである。その内容の豊かさと視野の広さにおいて、《指環》はそれまでに考えられていたオペラの境界線を遥かに越えるものであった。それは、ほぼ同時期に書かれたトルストイの『戦争と平和』が、小説の境界線を引き直したのにも似ていた。
ワーグナーの《指環》が、古典派音楽の枠組みをロマン主義が振りほどいた究極の事例となっているとすれば、それから時をおかずに起こったもう一つの出来事—1876年11月4日の、ブラームス作曲の交響曲第1番初演—はまったく違った方向性を指し示すものだった。この曲もまた大規模な管弦楽作品であり、19世紀後半らしい旋律と和声言語を駆使しているが、古典主義の理念も尊重しながら書かれている。バランス、簡潔な動機発展、巧妙に抑制された熱情、なじみの形式の順守といったことが、ブラームスが初めて完成させた交響曲の特徴となっている。
その壮大な規模のために、どちらの作品も、大編成の演奏家を束ね、分厚い音の層を首尾一貫した芸術作品へと造形し、音の豊かな組織から旋律線を引き出すことができるような、名人芸を備えた主導者を必要としていた。どちらの作品でも、必要なのはただ拍子を取る人間ではなく、洞察力と想像力を持った解釈者であった。これら19世紀を代表する傑作の二つの初演の間に生まれ落ちたのが、ブルーノ・シュレジンガーであった。やがて彼は、ただブラームスとワーグナーの大演奏家というだけでなく、古典的な洗練を示すことも恍惚に身を任せることもできる、20世紀の第一級の指揮者の一人となっていく。

~エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P27-28

ブルーノ・シュレジンガー、すなわちブルーノ・ワルターである。
彼が生まれた日が、歴史的にそういう貴重な日だったことを僕は自覚していなかった。
しかしそれは、確かにロマン派の二大巨匠の重要な作品が初演された、極めつけの日。

ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管のプロコフィエフ歌劇「戦争と平和」を聴いて思ふ ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管のプロコフィエフ歌劇「戦争と平和」を聴いて思ふ

ブルーノ・ワルター生誕150年の記念すべき日にワルターの指揮するブラームスを聴いた。

ブラームス:
・交響曲第1番ハ短調作品68(1937.5.3-5録音)
・大学祝典序曲作品80(1937.10.18録音)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第二次大戦前の、不穏な空気漂うウィーンにあって、これほどまでに優雅でありながら、これほどまでに鬼気迫る演奏が再現できた奇蹟と言えば大袈裟か。
その昔、アナログ・レコードで聴いたそれは、ウィーン・フィルの典雅な響きだけが前面に押し出されたものだと僕は誤解していた。

あれから45年以上が経過する今、僕の耳が変わったのかどうなのか、むしろ音の背面にある、見事な洞察と想像が適った、指揮者の心象風景が感じ取れるのだから不思議だ。

90年近く前に収録されたブラームスの第1番は、何と厳しく、何と集中力に富み、聴く者の魂まで揺さぶることか(テンポの揺れる演奏がものを言う。特に終楽章!)。

ワルターが60歳の誕生日を祝った1936年9月15日までには、彼はウィーンの指揮者としての地位を確立しており、ウィーンに住み、ウィーン国立歌劇場で指揮し、ウィーン・フィルとコンサートを行っていた。
~同上書P356

順風満帆に見えたワルターのウィーンでの生活も、その後、実はそう長く続くことはなかった。危機が刻一刻と迫る中で、レコーディングを繰り返した巨匠は何を思っていたのか。
(それは一連の演奏を聴けばわかる)
(その意味で、このブラームスの第1番も実にワルターらしい、本来相反する「激しさと安寧」が交錯する美しい演奏になっている)

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