本当に自己批判の賜物か?

King Crimsonの”Earthbound”は一般的にはロバート・フリップの自己批判の賜物だといわれる。
自己批判?僕にはそうとは思えない。あれほどまでに「我の強い」リーダーが謙虚に自身を否定するとは考えられない。何より当時のメンバーを選出したのはフリップその人。それが、いざステージを務めるにあたり自分の思うようにいかないからといって自分自身を責めたりはしないはず。どちらかというと矛先はボズ・バレルをはじめとするあの頃の仲間に当てつけのように送られたものだと思うのだ。

キング・クリムゾンはフリップの「舞台」である。確かに結成当初は違ったのかも。どちらかというとピート・シンフィールドやジャイルズ兄弟、あるいはイアン・マクドナルドの方が実権を握っていたのでは・・・。でも「ポセイドンのめざめ」の時には既にフリップの独壇場と化していた。しかし、その時点では統率力の薄かった彼にはオリジナル・メンバーをつなぎとめておくことができなかった。そういう流れで新しくバンドの再生を試みるも、いかにも自分とは音楽性の異なる人々を集めて失敗に終わる。この後に続く、メタル・クリムゾンの登場をしてようやくフリップは「居場所」を確立することになる。

“Earthbound”はすこぶる名盤だ。あえてテープ録音を正式にリリースしたこと自体奇跡だ。
そんな意味がどこにある?すなわち、これはフリップが他のメンバーを葬り去るための、そして「お前が悪いんじゃないよ」と自分に言い聞かせるための「状況証拠」に過ぎない。

とはいえ、一般の聴衆からするとその「ズレ」が素敵なのである。予定調和でない、何が起こるかわからない危うさに当時のキング・クリムゾンの「芸術性」を求めるのだ。

King Crimson:Earthbound

Personnel
Robert Fripp (Electric Guitar)
Mel Collins (Alto, Tenor & Baritone Saxes, Mellotron
Boz (Bass Guitar & Vocals)
Ian Wallace (Drums)

確かにキング・クリムゾンっぽくはない。それっぽいのはフリップのギター・ワークのみ。
でも、いろんなアプローチがあっていい。”Schizoid Man”の多少のぎこちなさも大目にみよう。フリップの独奏を除けば(ここぞとばかりにギターをかき鳴らす様が妙に滑稽。でも、またそれがいい)。

人間関係というのは必ずしもスムーズがベストではない。
確執があったって良い。そこから生まれる「意味」もあるのだから。
強いて言うなら、初期のクリムゾンの音楽を一旦この作品でリセットして、そしていわゆる第2期クリムゾンのスタートを切りたかった。フリップの思いとはそこだったのだろう。
それにしてもこの録音の「パワー」は並大抵でない。ここにはもうひとつの「真実」がある。つまり「弱み」はあえて曝け出せ、と。

いすれにせよ「同質」の者たちが一堂に会することが重要だ。
でないと、結局は「ひとつに」なれない。


8 COMMENTS

みどり

おはようございます。
“Schizoid Man”、ぎこちないですか?
ライヴテイクとしては随一の出来だとも言われていますよね。
一瞬でも集中が途切れようものなら、「何を聴いていたのかわからなく」
なるし(笑)、“Peoria”なんて知らない方が聴いたら、クリムゾンだとは
想像できないでしょう。

クリムゾンの「最高傑作」と呼ぶファンすらいる一方、「ついて行けなく
なった」フリップが他のメンバーを切った…という評判もあるようですが、
自分の「乗り物」であるクリムゾンをコントロールし切れないなどとという
ことは、それがステージ上だけであったとしても、フリップにとっては
屈辱を禁じ得ないものだったろうと、私は思います。
その屈辱を「彼らとでは(自分の構想を具現化)できない」と言い換えて
しまわれるあたり、さすがにフリップ様は違います!

「宮殿」の頃も実権を握っていたのはフリップだと思いますが、音楽的
な面ではイアン・マクドナルドの才能が抜きん出ていたのではないかと
思うのです。
が、イアンは強いリーダーとはうまく組めない(組みたくない)人だった。
フリップと組まなくてもよいと考えるメンバーは去って行き、フリップが
必要としないメンバーは残れない。それがキング・クリムゾン。

「契約消化」と揶揄されようとも、内容は強力だと思います。

>人間関係というのは必ずしもスムーズがベストではない。

それを、岡本さんが仰いますか。
相当、懐が深いのですね。本当に尊敬します、巧言ではなく。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
おはようございます。
この記事は僕の勝手な「空想」のようなものです。
フリップだって生身の人間なんだって垣間見えるこの周辺のエピソードが特に好きでして。
もちろん僕は「アースバウンド」は大傑作だと思っています。
フリップの美学というのは何やかんや言いながら「完全調和」のようなものだろうと昔から考えていました。
それが図らずも崩れ落ちるところにこの頃の凄さがあるんだと思います。
しかしながら、みどりさんのご指摘についてはすべて首肯します。

>それを、岡本さんが仰いますか。

いや、懐が深いというより、それが「事実」であり、「人間社会」なんだと客観的に思うということです。
で、そういう問題からいろんなことを学ばせていただいて成長するんだと。
もちろん僕自身の本音はスムーズが良いに決まっていますが・・・(笑)。(だってスムーズじゃないのって辛いですもん)

返信する
みどり

安心しました。本気で「スムーズがベストじゃない」とお考えだったら
どうしようか…と思ってしまいました(笑)。

首肯していただくほどの指摘をした覚えはないのですが(笑)、そもそも
クリムゾン・ゲットーに与さない部外者が、フリップ導師に云々するなど
軽挙以外の何物でもないことは十分に認識しております。
私は「宮殿」こそがキング・クリムゾンであり(この時の面子が第1期だと
信ずるので)、それ以降は「フリップのクリムゾン」だと思ってしまうのです。

イアン・マクドナルドはMcDonald&Gilesを経て(本当はあのアルバムを
発表したくなかったそうです)、Foreignerへと至る訳ですが、そこには
ミック・ジョーンズという、フリップとは別な強権発動型のリーダーが…。
(1980年の再来日時には、既にバンド内での人間関係が崩壊し始めて
いるのが、客席からでも推察できるような状態でした)
あれほどの才能を持ちながら、「宮殿」を凌ぐ作品を世に出していない
のではないかと思っているのは、私だけではないでしょう。

言い換えれば、そこがロバート・フリップのフリップたる所以かとも。
イアン・マクドナルドの参加なしに「宮殿」は存在し得えず、だけれども
フリップ以外の誰が集おうともクリムゾンでは有り得ない。
フリップが好きではない私でも、そう思います。

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岡本 浩和

>みどり様
なるほど、ロバート・フリップ嫌いなんですね・・・。
ひょっとしてワーグナーがお嫌いなのと同様の理由ですか?

ところで、クリムゾンはイアン・マクドナルドあってのものだったと思います。
もちろんご指摘のようにフリップのバンドですからフリップなしにはありえないのですが。
オリジナル・メンバーはいずれにせよ不滅ですね。

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みどり

もう…、「好きではない=嫌い」ではないでしょう?(笑)
イアン・マクドナルド>>>ロバート・フリップ
だというだけのことです。そんなこと言い出したら
ロバート・フリップ>グレッグ・レイク>ピート・シンフィールド…です!(笑)

レイクよりブラフォードの方がプレイは好きだし、メル・コリンズも嫌いでは
ないです。
ジョン・ウェットンにはそれほどの興味はなく、エイドリアン・ブリューの
プレイは、私にはよく理解できません。
トニー・レヴィンは好きです。フリップよりもね!
まだ続けた方がよろしければ、またの機会に…(笑)

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岡本 浩和

>みどり様
>「好きではない=嫌い」ではないでしょう?
大変失礼しました!
どうもみどりさんのお言葉にはストレートに反応し、そのまま受け取る癖がありまして・・・(笑)。

なるほど、イアン・マクドナルドのいないクリムゾンにはあまり興味がないということですね。
(あ、これも言い過ぎでした・・・。クリムゾンの他の期と比べるとということですね)

返信する

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