ショスタコーヴィチの歌劇「鼻」を聴いて思ふ

shostakovich_nose_rozhdestvenskyショスタコーヴィチの「鼻」。
何と奇天烈なストーリー。ゴーゴリの原作にほぼ忠実に台本化されたものに、いかにもショスタコーヴィチの挑戦的で彼らしい音楽が隅から隅までうねる。金管の咆哮、どんちゃん騒ぎ・・・。

いったい「鼻」を主人公にするとはどういう意味だ・・・。
そういえば、最近の町行く人の姿。イヤホンで音楽を聴きながらしかも手元のスマホに釘づけ。前も見ないで、しかも耳まで塞いで歩くのだから、よほど鼻に自信があると見た。犬猫、動物並の嗅覚・・・(笑)。

まるで21世紀の今を予見して書いたかのような・・・。
そして、現代を予知するかのように、ほとんど悪ふざけにも近いショスタコーヴィチの音楽。

ショスタコーヴィチ:
・歌劇「鼻」作品15
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ・シアター・オペラ(1975.6録音)
・ドレッセルの歌劇「貧しいコロンブス」のための2つの小品~序曲&終曲
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、ソビエト文化省交響楽団&合唱団(1979.3&1984.3録音)

それにしてもこの「鼻」という小説は理解に骨が折れる。
ほとんどメルヘンともいえるが、決して童話でなく、作家が何かしらの意味を持たせているだろうことは容易に想像つく。ただし、それが何であるかは、ロシア文学だけでなく、文化、宗教や社会、あるいは歴史を相当知り尽くさないとわからない。この小説が書かれた19世紀前半のロシアに生きた人々ですら果たして理解できたのかどうか、真に怪しい。

調べてみると、ロシア正教にまつわる聖体礼儀の暗喩だという説がある。うーむ、難題・・・(笑)。
興味深いのは20世紀前半のソビエト連邦で、すなわち宗教を否定した社会主義国において、ショスタコーヴィチがゴーゴリのこの文学作品に白羽の矢を立て、音楽を付したこと。さらにはその音楽が、いかにも喧騒に満ちた、およそ宗教性とはほど遠いものであること。
やはりここは二枚舌ショスタコーヴィチの為せる技だろうか。無意識下で、体制に迎合するべく宗教性を音楽によって否定する。しかし、この脚本の場合、否定すればするほど実に宗教を肯定し、信仰心を煽るという真実が浮かび上がるモチーフ。ショスタコーヴィチは決して無神論者でなかったことがこういうところにも垣間見える。僕の考え過ぎだろうか。何とも刺激的な、ショスタコーヴィチらしい最高の音楽。

 


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