
慟哭のモーツァルト。
典雅で柔和なモーツァルトもブルーノ・ワルターの得意とするところだが、激しく、心揺れ動くモーツァルトこそワルターの真骨頂だ。
少年期の記憶。
私が読んだ本のなかには音楽家の伝記も入っていたが、ここにもまたまたベートーヴェンがあり、その巨人のような人柄、聴力喪失、貴族と社交界に対する自負の念、『エロイカ』献呈の撤回、ハイリゲンシュタットの遺書などの話は、このうえなく強烈に私の心をゆり動かした。しかし、モーツァルト、シューベルト、バッハ、ヘンデル、シューマン、メンデルスゾーン、その他の創造的な音楽家たちの伝記も、手当たりしだいに共感をこめて読みあさったのである。ところで私を驚かせ惑わせたのは、ほとんどすべての場合に、彼らの地上の生活の多難な貧しさが、その創造的天分の豊かさと腹だたしい対照を見せていることであった。モーツァルトは平身低頭のうちに、年老いた後援者に再三わずかな金を無心し、11月の或る寒い日には、火の気のない部屋のなかを妻と踊りまわって、からだを暖めようとする。そしてもっと悪いことには、ザルツブルクの大司教から精神的な侮辱を受けるのだが、しかし彼の魂のなかでは彼岸の戦慄が石像の客の音楽となり、ザラストロの「神聖な殿堂」からは人間愛の告知がうたわれ、『鎮魂ミサ曲』の「ラクリモサ」は彼の涙の結晶なのである。地上の《市民的な》生活の逃れがたい凡俗さと、霊感による芸術創造という崇高な出来事とがどのような不幸な結びつきとなって、芸術家の存在に悲劇的な重荷となるのだろうか?
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P49
いわばこの聖凡の対比こそが芸術家の存在意義の一つであり、凡の負の側面があってこその音楽的な高みの創出につながるのだろうということが見える。(特に「道」が公開になる以前にあって)人間というもの、余裕がある中では「聖なるものに」アクセスできなかったのだろうと僕は思うのだ。
ブルーノ少年も、そんなことを思い、葛藤を抱えていたという。
恩寵を受けた人の本性にも《人間的な、あまりにも人間的な》側面があって、凡俗な世界に心をひかれることがまれではないということ、この高尚な創造と低俗な生活との対照は、私自身の魂のなかにある似たような対立と関連していることを感じた。じじつ私自身も、まだきわめてせまい範囲においてではあったが、早くからそうした葛藤に悩みはじめていた—《日常》と、その日常にしごくあっさりと同意する自分自身の凡俗—そしてこのふたつが、自分の生まれた目的だと感じている《精神生活》に対立しているという葛藤であった。私は世界苦の最初の試練を味わっていた。思考過程というよりはむしろ感情というべき、このしだいに大きくなる苦悩と疑惑から、一陣の冷たい風が吹きよせ、そのために私はほんとうに、生涯つづく魂の鼻かぜにかかっていた。—ところで、鼻かぜをひいても生きて働くことはできる。いやそれどころか、古い民間伝承によれば、鼻かぜをひいていると他の重い病気にはかからないのだそうである。
~同上書P49-50
「鼻かぜ」とは、なんとうまい表現だろう。
ワルターの謙虚さの根源は慈しみだという人が多い。それゆえに彼の創造する音楽には「慈愛」が刻印されるのだというのである。確かに、どんなに劇的で激しい表現をもってしても、ブルーノ・ワルターの音楽には「優しさ」がある。
モーツァルト生誕200年の記念。
ニューヨークはカーネギー・ホールでの録音。
幾種類かあるワルターの「レクイエム」の中でも、最も動的で、最も激しいながら、最晩年のモーツァルトの苦悩を体現する名演奏だ。
モーツァルトの「涙の結晶」たる「ラクリモサ(涙の日)」のあまりの感情移入に心動かされる。
さすがに録音や歌唱については古臭さを感じさせるシーンが頻出するが、それでもブルーノ・ワルターのモーツァルトは熱く、実に人間的で感動的だ。この人間臭さが聖なる音楽を俗っぽくする一因だともいえるが、人間モーツァルトの真の苦悩を表現するという点ではむしろ効果的。
死は決して暗いものではなく、むしろ喜びなのだと謳うモーツァルトの至宝。
死は(まともに考えれば)ぼくらの生の真の最終目標ですから、ぼくは数年このかた、この人間の真の最上の友にとても馴れ親しんでしまいました。そのため、死の姿はぼくにとって少しも恐ろしいものではなく、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!そして、神が死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を(おわかりですね)与えてくれたことに感謝しています。―ぼくは(まだこんなに若いのに)毎晩、床につくとき、もしかして明日はもうこの世にはいないのではないかと考えないときはありません。—それでも、ぼくを知る人は、誰ひとり、ぼくが人とのつき合いで、不機嫌だったり、悲しげにしていると言える者はないでしょう。—この幸せを、ぼくは毎日、創造主に感謝し、ぼくの隣人みんなにも与えられるように心から願っています。
(1787年4月4日付、父レオポルト宛)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P367-368
アニュス・デイからルクス・エテルナにかけての壮絶な合唱が印象的。
ここには永遠がある。
ワルターのザルツブルク音楽祭ライブ(1956.7.26)を聴いて思ふ

