バーンスタインのコープランド、バーバーほかを聴いて思ふ

copland_appalachian_spring_etc_bernstein037感情や感覚を記号化するのは難しい。
ベートーヴェンの晩年の四重奏曲の驚異は、そのことをいとも容易にやってのけていることだとワーグナーは言った。

感性どころか思考を言語化するのすら僕たち凡人には困難だ。言いたいことが頭の中に明確にあるのにそれを言葉にした時、あまりに陳腐で、しかもいまひとつ言い得ていないということも多々。もどかしいことこの上ない。

音楽という再現芸術の場合、要は作曲家が認めた「不完全な」楽譜から彼らの真意を、つまり生み出されたその時の思考や感情を可能な限り正しく読み取り、いかに正確に(その上聴衆が納得するように)音化するかが最大の鍵となる。再現する側の洞察力や理解力、あるいは直観力といったものが極めて重要になるということだ。

30余年前に、バーンスタインがロサンゼルス・フィルと録音したアメリカの作曲家たちの作品を集めた音盤を聴いた。バーンスタインほど、この「記号から本質を抽出し、極めて情緒豊かに、そして作曲家の真意を見事に言い当てて音楽を再現できる」指揮者はなかなかいまい。作品によっては感情過多にすら感じられる瞬間が多発する晩年の解釈も、このアメリカ現代音楽集は実に当を得ていて、繰り返し聴くほどに感動的な音場が僕たちの前に現出するのである。

・コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」(マーサのためのバレエ)
・ウィリアム・シューマン:アメリカ祝典序曲
・バーバー:弦楽のためのアダージョ作品11
・バーンスタイン:「キャンディード」序曲
レナード・バーンスタイン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(1982.7Live)

「アパラチアの春」が初演され、ちょうど70年。アーロン・コープランドの音楽は、土俗的な米国魂とでもいうのか、大衆にいかにも好まれそうな旋律に溢れ、しかもダイナミクス(音の振幅)が大きく、これぞ録音ではなく実演で触れるべき作曲家なのだろうと思う。さすがにバーンスタイン自家薬籠中のコープランドについては余裕満点で力の抜けき切った解釈で、音楽そのものが実に美しく表現される。

続いてウィリアム・シューマンの「アメリカ祝典序曲」。作曲家バーンスタインのスタイルに通じる、解放的で明朗なアメリカン・クラシック。僕の好みからは圧倒的にはずれるが、たまにはこういうものも良い。

そして、バーンスタイン屈指のパフォーマンスのひとつであるバーバーの「アダージョ」。いつぞや宇宿允人さんがフロイデ・フィル定期でアンコールに演った渾身のバーバーが忘れられないほど素晴らしかったが、録音においてはいまだにこれを凌駕するものはない。
最後は自作自演の「キャンディード」序曲。「ウェストサイド物語」と肩を並べる作曲家バーンスタイン畢生の傑作(ということにしておこう)。

バーンスタインの音楽性は基本的に独墺ものにマッチすると思うが、自国アメリカものはそれ以上。同国人としての血が騒ぐのかどうなのか、外面的に磨かれているというレベルでなく内面から湧き立つ美しさに溢れる。この人は陽気でありながら、寂しがり屋だ。

 

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