チョン・キョンファ ヴァイオリン・リサイタル2015

kyung-wha_chung_20150426184天翔る巫女がふたたび舞い降りてきた。おそらく賛否両論あれど完全復活だと僕は思う。
確かに楽聖のハ短調ソナタ作品30-2に聴く彼女のヴァイオリンは時に不安定な音程をみせ、不安を感じさせる瞬間もあったが、例えば3曲のアンコールにおける、それまでにはない気さくな態度と表情で「聴衆とともに音を楽しむ」キョンファの姿を見て、そしてそれに応える聴衆の万雷の拍手喝采の中に居て、これほど人間らしい血の通った音楽を届けられるヴァイオリニストは東西広しといえどなかなかいないのではと考えた。さすがに70歳近くになり、しかも指の故障という大きな挫折と壁を乗り超えてきた人だけある。

かつて孤高の境地にあったチョン・キョンファはまったく別の人物になったよう。
聴衆と密にコミュニケーションをとりながらひとつひとつの音を紡いでいく様。とはいえ、会場の少しの雑音にも機敏に反応する耳の良さは相変わらず。

以前の彼女はもっと自己主張が強かった。
ところが、今の彼女はとにかく伴奏者とひとつになろうとする。ベートーヴェンのソナタそのものがヴィオリンとピアノを同等に扱う方法で創造されているということもあろうが、2人はひとつひとつの楽章を実に大切に音にしてゆく。
伊熊よし子さんがプログラムに寄せたエッセイにある、キョンファ自身の言葉に膝を打った。

ヴァイオリンとピアノのデュオというのは、とても難しいのです。両楽器が完全にひとつの“声”にならないと、いい演奏は生まれないからです。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは特にそれが大切で、ふたりの音が完璧に融合しなければ、聴き手の心に感動をおよぼす演奏にはなりません。
~リサイタル2015プログラム

チョン・キョンファ ヴァイオリン・リサイタル2015
2015年4月26日(日)14時開演
サントリーホール
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
ケヴィン・ケナー(ピアノ)
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
休憩
・ヴェーベルン:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品7
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
~アンコール
・J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第4番ハ短調BWV1017~ラルゴ
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」~第3楽章スケルツォ
・エルガー:愛の挨拶

kyung-wha_chung_20150426183ベートーヴェンのスプリング・ソナタを聴いて思った。キョンファは真に自由になったと。音を天空に放し、すべてを解放するかの如くの仕草に、年齢を重ねて一層大きくなった彼女の精神を感じた。第2楽章アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォにおける安寧の調べは、ケヴィン・ケナーとそれこそひとつになって奏でているがゆえの魔法のよう。
第7番ハ短調は、終楽章が素晴らしかった。コーダの追い込み、アッチェレランドはキョンファの真骨頂。
そして、後半の、「クロイツェル・ソナタ」。技術的な衰え云々はとりあえず横に置く。それでも冒頭のヴァイオリン・ソロから気合い十分で、全編通して迫真の演奏。できれば彼女には正規録音でベートーヴェンの全集を残してほしい。そんな風に思わせるものだった(とはいえ、彼女の演奏は実演でないと素晴らしさは伝わらないのだけれど)。

ところで、ベートーヴェンには申し訳ないのだが、今日の演奏で最も感銘を受けたのがアントン・ヴェーベルンの作品7。わずか5分ほどのこの極小世界を創造するチョン・キョンファの、かつての野性的集中力が蘇ったようなひとコマ。第1楽章冒頭の、弱音器をつけたヴァイオリンのpppの何とも表現し難い音に背筋が凍りついた。続く第2楽章の激しさに心動かされているうちに、再び音楽は静寂に包まれる。彼女が一呼吸おいて静謐な第3楽章を奏でようとした矢先、会場で雑音が。びくっと反応したキョンファは音が完全に静まるのを待ち、次なる楽章へ。この時ばかりは聴衆も呼吸をするのさえ憚られたのでは?それほどの緊張感の中で生み出された音楽が悪かろうはずがない。
ヴェーベルンの音楽の持つ圧倒的存在感が感じられたひと時だった。

 

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