スターン、ゼルキン&アバドのベルク室内協奏曲(1985.10.18録音)ほかを聴いて思ふ

brahms_berg_stern_ma_abbado534数字へのこだわりと、緻密な計算の上に成り立つ名曲。
それが作品の外面だけのことなら、単に偏執狂的な作品と烙印を押しても良いのかもしれないが、湧き立つ内なる様々な感情と何とも表現し難いエロスの表情に、全脳的作曲家アルバン・ベルクの天才を垣間見る。
柴田南雄さんの1957年の「アルバン・ベルク論」には次のようにある。

さて、「ヴォツェック」のあと、ベルクは器楽の傑作をつづけて二つ書いている。どちらも大作であり、またともに現代音楽のかけ値なしの傑作である。最初の方はソロ・ヴァイオリンとピアノと十三の管楽器のための「室内協奏曲」(23-25)で、これはシェーンベルクの生誕50年を祝って、彼に捧げられている。こんなに劇的表現力の強烈な器楽曲は、およそ類がないといえる。しかも例によって、この曲の構成はきわめて図式的、法則的なのである。とくに面白いことは、曲の冒頭でアーノルト・シェーンベルクの名からとったA-d-(e)S-c-h-b-e-gのモチーフをピアノで、また僚友アントン・ウェーベルンの名からとったA-e-b-eのモチーフをヴァイオリンで、つづいて自分のA-b-(a)-B-e-gの文字をホルンで吹かせる、というベルクらしい心の籠った音の遊びをしていることである。
「柴田南雄著作集Ⅱ」(国書刊行会)P63-64

ここにあるのはベルクの、友人や諸先輩たちへの感謝の念、あるいは愛だろう。
無調を基礎とするその音楽は耳に馴染みやすいかといえば否。しかし、おそらく初めて聴く者をも惹きつけるであろう終始音の柔らかな響きが特長で、しかもベルク自身が作品に隠したメッセージなどをひもとかせることで、不思議な親近感を喚起し、繰り返し何度も聴いてみたいと思わせる魅力に溢れる(もともと曲の3つの楽章に、それぞれ「友情」、「愛」、「世界」という副題を付けていたことも興味深い)。

・ブラームス:ヴァイオリンとチェロための二重協奏曲イ短調作品102
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
ヨーヨー・マ(チェロ)
クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団(1987録音)
・ベルク:13の管楽器を伴ったピアノとヴァイオリンのための室内協奏曲
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団メンバー(1985.10.18録音)

主題と5つの変奏からなる第1楽章。それぞれの変奏ではどこかで聴いたような旋律が数々姿を現す。しかしそれは、ベルク流の味付けがなされており、またあっという間に次の楽想に移っていくため、はたと立ち止まって考える余裕を与えてくれず、聴く者を戸惑わせる(とはいえ、逆にそれがまた聴きたいと思わせるのである)。
アタッカで続く第2楽章アダージョにおけるスターンのヴァイオリンと管楽器奏者の強力な掛け合いと、そこから湧き立つ官能に僕は思わずのけぞる。夜の美しさとでも言うのか・・・。
そして、ピーター・ゼルキンの鋭いピアノとスターンの滑らかなヴァイオリンの二重奏で始まる第3楽章は、ベルクが「世界」と称した音楽で、先の楽章の楽想が多面的に扱われ、まさにすべてがひとつとなる様相を呈し、終結に導かれる。
頭脳的でありながら官能を美しく呈するアルバン・ベルクの真骨頂。

ところで、スターンとマを独奏者に招いたブラームスは、それぞれのテクニック鮮やかで、音楽性も当然ながら申し分ない名演奏。しかし、いぶし銀の渋いブラームスというよりどちらかというと開放的で、いかにも楽天的なもの。それも良し。

 

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