ブリテン指揮イギリス室内管のバッハBWV151(1968.12Live)ほかを聴いて思ふ

britten_complete_decca_recordings633名演奏。一言、慈しみのヨハン・セバスティアン・バッハ。
どこか余所余所しい大上段に構えた表現だが、一聴、慈悲という言葉が思い浮かんだ。いかにもブリテンらしい柔らかさ、あるいは中性的ともいうべき優しさ。急がず慌てず、あるいは弛緩せず、どの瞬間も実に妥当なテンポで、ただひたすら音楽をその字の如く楽しむ潔さ。この人は演奏者としても天才的な再現力を持っていたことが理解できる。

私は、まさしく人間のために音楽を書いています―直接、そして意図して。私は人間の声、音域、力、繊細さ、そして色彩の可能性を考えます。人間が奏でる楽器について考えます―もっとも表現力豊かでふさわしい、それぞれの響きです・・・また私は、音楽の状況、その環境と慣例について考えます。たとえば、私は劇場のためにはドラマティックで効果的な音楽を書こうとします。
(1964年、第1回アスペン賞を受賞したブリテンのスピーチ)
デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P183

作曲に限らず、このことはベンジャミン・ブリテンの演奏にも刻印される。
カンタータ第151番「甘き慰め、わがイエスは来ませり」BWV151第1曲ソプラノのアリアにおけるヒーザー・ハーパーの温かい人間的な歌。ここには言葉通りの甘い慰めがある。あるいは第2曲バスのレチタティーヴォ冒頭のいぶし銀の如くのチェンバロの音色。いずれもブリテンの心が投影される屈指の瞬間であると僕は思う。
また、1965年、オールドバラ音楽祭でのカンタータ第102番「主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや」BWV102の、ライブならではの生々しさと、ベイカーやフィッシャー=ディースカウの端整な名歌唱の美しさ。

J.S.バッハ:
・カンタータ第151番「甘き慰め、わがイエスは来ませり」BWV151(1968.12.22Live)
ヒーザー・ハーパー(ソプラノ)
ヘレン・ワッツ(コントラルト)
ピーター・ピアーズ(テノール)
ジョン・シャーリー=カーク(バス・バリトン)
ワンズワース・スクール少年合唱団
・カンタータ第102番「主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや」BWV102(1965.6.26Live)
ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)
ピーター・ピアーズ(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
オールドバラ祝祭シンガーズ
・ブランデンブルク協奏曲全曲BWV1048-1051(1968.12.9-17録音)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団

そして、いわば脱力のブランデンブルク協奏曲。古の表現の中に感じられる新しさ、あるいはその逆。何とも夢見るような音調。それは優雅な舞踏のよう。
テンポは速くない。といって、遅くもない。ギリギリの緊張感を保ちながら、全6曲がとても自然体で奏でられる喜び。そう、ブリテンの奏するバッハの音楽に通底するのは人間らしさなんだ。
例えば、心身を酷使した夜更けに相応しい癒しを与えてくれるもの。
同じスピーチの中で彼は語る。

私は同胞に音楽を提供します。それは彼らを、鼓舞し、癒し、感動させ、楽しませ、教育します―直接、そして、意図をもって。
~同上書P183

素敵だ。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

>ブリテンの奏するバッハの音楽に通底するのは人間らしさなんだ。

同感です。ブリテンのバッハの素晴らしさは「人間らしい温かさ」ですね。

このような音盤こそ、寒い季節に、LPで、管球アンプを通して聴いてみたいなと思いました。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む