ケンプのベートーヴェン作品79、作品81a、作品90、そして作品106(1964-65録音)を聴いて思ふ

beethoven_sonatas_kempff295音楽表現に絶対というものはない。楽譜というものが作曲家の創造物を記号化したものに過ぎず、それならば何千、何万通りの解釈があるのは当然で、その意味でどんな演奏も是であり、非であり得る。人の感性が異なり、物事の理解、捉え方が違うのであれば、演奏者側も聴衆側もまさに千差万別、十人十色。

言葉は違うのかもしれないけれど、素朴なディレッタント。
飾らず、ありのままに、そして不器用に。ただし、現出する音楽は他の誰のものよりも圧倒的に温かい。人間性が滲み出る慈愛の表現。それゆえ時折耳にしたくなる。

ヴィルヘルム・ケンプは語る。

オルガニストであった私の父の家で、そしてまた老いたる合唱長であった私の祖父の家で、ベートーヴェンという名はいつも畏敬の念を持って呼ばれました。このベートーヴェンが音の記念碑を打ち立てたのは、緩徐楽章に於てであったのです。(ベートーヴェンは終楽章に関する限り、モーツァルトを凌駕できないことをよく知っていました。モーツァルトはその「ジュピター交響曲」のフィナーレに於て、完璧なるものを創造したのですから)しかしベートーヴェン以前、いかなる大作曲家が、ソナタや交響曲の緩徐楽章において、まったく前例のない人間的魂に彼ほど深く浸透することができたでしょうか。言葉の力がもはやその力を失った所へ、否、そればかりではない、音でさえもが霊の感動を前にしては停滞しはじめんとする所へ、即ち休止が来る所へベートーヴェンは浸透して行きます。この休止符に於て我々の心の鼓動は止まるかと思われます。この休止こそは唖の、聾耳となった人の音楽であり、この休止を我々は正にベートーヴェン的休止と呼ぶほかないのであります。
~ベートーヴェンのピアノ・ソナタについて(ライナーノーツ)

ベートーヴェンの神髄が緩徐楽章にあることを見抜く粋。同時に、ベートーヴェン的休止という造語の妙!!そして、よく聴くと、同世代のもうひとりの雄、バックハウスにはない人間味と揺れる情感。また、絶対とは言えない曖昧さの中にある美しさ。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」(1964.9.15-18録音)
・ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90(1965.1.14&15録音)
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」(1964.1.27&28録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)

ホ短調ソナタ作品90第2楽章に聴く清らかさと音楽的豊かさに心動く。凝縮された構成美に垣間見る慈悲と祈り。しかし一方で、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」作品106第3楽章アダージョ・ソステヌートには僕は感心しない。このまた出来不出来の「曖昧さ」がケンプの人間らしさの象徴であり、特長。
今日聴くケンプは素晴らしいけれど、明後日聴くケンプはピンと来ないというのはよくある出来事。しかし、であるがゆえに普遍的なのである。

ヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェン全集は素晴らしい。

 

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17 COMMENTS

畑山千恵子

私も推薦、ケンプのものを聴くと、オピッツも聴きたくなる。オピッツはケンプが送りだした逸材であり、今、レーゼルとともにドイツ・ピアノ界の大御所になった。
ドイツのピアニストでは20世紀がバックハウス、ケンプ、21世紀がレーゼル、オピッツになったといえる。

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雅之

・・・・・・哲人:いいですか、われわれは誰もが違っています。性別、年齢、知識、経験、外見。まったく同じ人間など、どこにもいません。他者との間に違いがあることは積極的に認めましょう。しかし、われわれは「同じではないけれど対等」なのです。

青年:同じではないけれど対等?

哲人:そう、人は誰しも違っている。その違いを、善悪や優劣と絡めてはいけないのです。どんな違いがあろうとも、われわれは対等なのですから。・・・・・・岸見一郎 古賀史健 著 『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)92頁より

改めて、岡本様には学ばせていただき感謝いたしております。本日もありがとうございました。 

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
はい、おっしゃる通りだと思います。
オピッツに関してはまだまだ聴き込みが足りないので、いろいろと聴いてみようと思います。
ありがとうございます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
昨晩は久しぶりにお会いできてとても良かったです。
いろいろとお話しすることができ、あらためて勉強になりました。
また3年超ぶりのコメントをありがとうございます。
あれから3年が経過するのかと思うと吃驚です。
こちらこそ感謝いたします。

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ヒロコ ナカタ

おじゃまします。
昔、東京に住んでいた頃、近くのクラシック音楽喫茶店で、ケンプかバックハウスか、といったお話が出たことがありました。当時の私はケンプの良さがひとつもわからず、ベートーヴェンを感じるのはどちらかというとバックハウスに決まりだろう、というようなことを思っていました。当時はケンプの不器用さや情感、揺れのようなものが、私の思うベートーヴェンのイメージとそぐわなかったのだと思います。
 ここに書かれている、ケンプの「ベートーヴェンが音の記念碑を打ち立てたのは、緩徐楽章に於てであったのです。緩徐楽章において、まったく前例のない人間的魂に彼は深く浸透することができた」という言葉にとても感銘を受けました。ベートーヴェンの曲を聴く時、息をつめて待っていたい、曲中の白眉たる箇所は、多く第2楽章にあるように思います。思いつくままに、「運命」「皇帝」「交響曲7番」「ピアノ協奏曲3番」「ヴァイオリン協奏曲」‥‥このケンプの言葉が、その謎を解いてくれたように思います。今日もありがとうございました。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

70年代か80年代か、あの頃ベートーヴェンのソナタについては、バックハウスVSケンプという構図が常識で、僕の周囲を見渡してもどちらかというとバックハウス派が優位だったように記憶します。
ただ、若気の至りで、いわゆる評論家の言葉を鵜呑みにしていた自分もいて、どこか食わず嫌い的にケンプを批判的に見ていたことは、少なくとも僕に関してお恥ずかしい事実であります。

歳を重ねて、ケンプの温かさがわかるようになりました。
彼の言葉にあるようにベートーヴェンの緩徐楽章は人類の宝物ですよね。
いつもありがとうございます。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

 やはりその構図でしたか。
「ベートーヴェンの緩徐楽章は人類の宝物」、ありがたいお言葉、ありがとうございます(僭越ですが)。
 ついでにお尋ねしてもいいでしょうか。そのそれぞれの緩徐楽章の中で、宝物中の宝的な、得も言われぬ陶酔のフレーズが一度きりしか出てこないのはなぜでしょうか。ベートーヴェンが意図的にそうしたのでしょうか。すみません、主観的な質問で・・・

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

いやはや、実に難問です。
そもそも音楽は受け取り手の感性によって変化するものですから、例えば、ベートーヴェンの「得も言われぬ陶酔のフレーズ」が例えばどの部分を指しているのか残念ながら僕にはわかりません。ただ、おそらくそう感じるフレーズは人によって異なるということと、ベートーヴェンの音楽の展開術の途方もない天才を考えると、一度きりしか出て来ないと感じさせることによって、大宇宙の「一期一会」というものを人々に体感させ、魂の成長を促そうとしたのではないかと勝手に想像するのです。(笑)
いや、すいません、何の根拠もありません。
ベートーヴェンを崇拝する僕としては、一度彼に会って、話してみたかったとつくづく思います。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和様

 私の自己中心的な問いに真摯にお応えくださり、本当にありがとうございます。できれば、「一度きりの陶酔と癒しのフレーズ」を「第2主題の提示部」等とお伝えできればいいのですが、私の能力を超えています。楽譜の〇小節目、と言ったら多分おわかりいただけるかもしれませんが、楽譜が手元にないので今はあきらめます。(付け加えですがそれは弦楽四重奏曲13番のカヴァティナの中にもあります。)余談ですが、昨年「皇帝」を聴きに行ったところ(ブルーノ・レオナルド・ゲルバーでした)、その第2楽章の一期一会のところで、そこをピンポイントで狙ったかのように、バッグの中から何かをガサゴソとさがす音が・・・災難としか思えませんでした。失礼しました。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

「皇帝」第2楽章の一期一会のフレーズがとても気になります。
差し支えなければ下記動画(ツィマーマン&バーンスタイン指揮ウィーン・フィル)で、何分の箇所かご教示ください。
https://www.youtube.com/watch?v=n6Avu3T1PNw

ちなみに、ベートーヴェンの緩徐楽章は、僕の場合すべてがひとつで流れの中にあり、どの瞬間も恍惚とします。
「カヴァティーナ」についてもどの瞬間をおっしゃっているのか、とても気になります。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様
 独断的「陶酔と癒しのフレーズ」に興味を持ってくださって、本当にありがとうございます。こんな方法があったのですね。ずばり23:34~23:51の間です。「すべてがひとつで流れの中にあり、どの瞬間も恍惚と・・・」本当にそれがあるべき姿だと思います。私はややもすれば、その部分が満足できるか否かで演奏の良し悪しを判断しかねないので、偏執的でお恥ずかしいことです。でも今まで誰とも話題にできなかったことについてお話しでき、とてもうれしいです。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

なるほど、冒頭、ピアノが主題を奏で始めてすぐの所の旋律ですね!
ここは間違いなく美しいですね。
僕自身がおっしゃるような捉え方をしていなかったので、逆に興味深いです。

>今まで誰とも話題にできなかったことについてお話しでき、とてもうれしいです。

人間は共感を欲してますよね。ブログを通じてこういうやり取りができるのは僕の方こそ嬉しいです。
ありがとうございます。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

 「なーんだ、そんなところか。」と言わず、興を感じてくださってありがとうございます。またベートーヴェンにぞっこんなことにも共感してくださいまして、ありがとうございます。さらに勝手な書き込みも歓迎してくださり、重ねて感謝です。
 変に意を強くしまして、気になる、と言っておられた弦楽四重奏曲13番のカヴァティナの一期一会ですが、下記のアドレスのYouTubeの演奏をみつけました。この演奏の31:00から31:15のところなのですが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=hXvP0bqw2Cs
動画の題名は、The Quatuor Ebène plays Beethoven Quartett Op. 130 with the Fuge です。
主旋律は直前のものの繰り返しなのですが、和音が違っていて、一段と哀切を増した愛と癒しのハーモニーになっていると思うのです。すみません。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

「カヴァティーナ」はさすがにベートーヴェン自身が会心の作だと言っただけあり、ずば抜けて名曲だと思います。
「一期一会」の箇所は確かに最高に感情移入された絶美の瞬間だです。
いやあ、面白い!その瞬間を待って待って、ついにほろっとくるという感じなのでしょうか?
もはやこの15秒が終わってしまうのがどれほど悲しいかと。素敵です。

ありがとうございます!

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

カヴァティーナの「一期一会」について同意してくださったばかりか、「最高に感情移入された絶美の瞬間」という、この上ない表現をもありがとうございます。そうなんです。待ち構えていて、それが報われた時は感動、ですが、あっさりと過ぎられた時の落胆も・・・。
 さらに大胆になって、交響曲7番2楽章アレグレットの「一期一会」ですが、バーンスタインのYouTubeが載っていたので、貼り付けました。4:36~4:43です。繰り返されそうになるのですが、ならないのです。 
https://www.youtube.com/watch?v=J12zprD7V1k

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

いやはや、フルートの旋律ですか!すごいピンポイントですね。
ちなみに、ベートーヴェンの7番アレグレットは、いまだにフルトヴェングラーが1950年にウィーン・フィルとスタジオ録音したものが絶美だと僕は思っております。

件の箇所も素晴らしいですよ。聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=RpPmJm8pGUE

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

 フルトヴェングラー・ウィーンフィル(1950)の演奏、素晴らしいですね。厳か、というかしめやか、というか格調の高い演奏で厳粛な気持ちになりました。改めてこのアレグレットの尋常じゃないすばらしさを感じました。ウィーンフィルの弦の美しさも際立っていますね。
 昔、通っていたクラシック喫茶店での不動の最高指揮者はフルトヴェングラー、ピアニストはケンプ、カルテットはブッシュ弦楽四重奏団でした。浅薄な私はあまりピンと来ていませんでした・・・ありがとうございました。
 

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