こと音楽に関しては、厳格な評価眼を持っていたベンジャミン・ブリテンは協演相手にも実に厳しかったという。ジャネット・ベイカーは語る。
彼のような人と親しくなりすぎると、完全に翻弄される危険に直面することになります。彼には必要なものを人から得る資格があると思います。無慈悲なようだけれど、人生で成功するというのは時には無慈悲であることを求めるものでしょう・・・ブリテンは、いっしょに仕事をする人には完全に忠実であることを求めました。彼の求める水準に達しないのは、もめごとを呼ぶようなものです。そのことでブリテンを責めるのは公平でないと思います。
~デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P133-134
冷徹な、否、完全主義者のブリテンは、その分、自分自身にも厳しかったよう。
ここ数年、本当にきみの足手まといになって済まない・・・そうは見えないかもしれないが、きみが何を考え、何を感じるかは、本当にぼくの人生で何より大切なことなのだ。きみと生涯を共にしているのは信じられないことだ。
(1966年4月3日付、ブリテンからピアーズへの手紙)
~同上書P186
ダーリン、熱が上がったと聞いて心配している—でも、辛抱しなければ。本は読める?きっといい本が手近にあるだろうね。
(1975年2月付、ブリテンからピアーズへの最後の手紙)
~同上書P200
あまりに人間的な、そして、女性的な精神こそがブリテンの音楽の鍵だろう。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの歌曲集「ウェンロック・エッジで」におけるピーター・ピアーズの歌唱の温かさの源泉は、ピアノ伴奏を務めるブリテンとの愛ある対話にあるのだと僕は思う。ここには慰めがあり、安心がある。
例えば、わずか40数秒の第4曲「おお、僕が君と恋をしていたとき」にある性急な哀しき官能。ここには、ピアーズの、ブリテンの激しい官能がある。
恩師フランク・ブリッジ作の単一楽章の四重奏曲が、劇的で美しい。
何よりアマデウス四重奏団の面々とブリテンによる息の合った濃密なパフォーマンス(対話の妙!)。フレーズの瞬間、瞬間に垣間見る真っ向からの真剣勝負。こういう研ぎ澄まされた一期一会的邂逅を示す演奏こそがブリテンの目指すところであり、まさに無慈悲なる完全演奏。
ブリッジの教え方は「すべてのパッセージをゆっくりとピアノで弾いて『さあ、聴いてごらん—これが君の狙いかな?』と訊くことだった・・・そして彼は本当に、すべてのパッセージ、すべての進行、すべての旋律線にあたう限り手間をかけることを教えてくれた」。
~同上書P11
ブリテンの「完璧さ」は、ブリッジの教えの賜物なのかも。