ジミ・ヘンドリクスの”Voodoo Child(Slight Return)”(Live in Maui, 1970)を観た。
50年以上も前の映像とは思えない鮮明さに驚愕した。そして、数多の聴衆が陶酔し、踊り、弾ける様子、そして何よりJimi Hendrix Experienceの途轍もない破壊力と創造力に度肝を抜かれた。カオスからコスモスへと移り行くロック音楽の力に僕は慄然とした。
すべては必ず灰塵と化す。
五行の中心(?)は土だと考えても良さそうだ。
破壊と創造の原理。混沌から調和へ。西洋では、古代から自然界すべての根源は、地、水、火、大気だと考えられてきた。この四大元素を音化した最初のケースは、アンドレ・カルディナル・デトゥーシュであり、それにインスパイアされたジャン・フェリ・ルベルであろうといわれる。
いずれの作品も、旋律豊かで外面効果は抜群、大自然を音で描くという意味で逸品である。ただし、哲学的深遠さを持つかといわれれば個人的にはそこは「否」。
ルベルは1734-35年のシーズンにパリでコンセール・スピリテュエルの指揮を行い、作曲だけでなく多面的な音楽活動をした音楽家だが、青年モーツァルトが後年パリで散々な目に遭ったことを考えると、まだ20代そこそこでありながら精神性高尚な彼の作品がスノッブなパリでは容易に受け入れられなかったこともよくわかる。
ただし、少なくともルベルの作曲した「四大元素」の導入部、まさに宇宙の根源たる混沌を表す不協和音に満ちた音楽に、以後の音楽的革新の萌芽(ジミ・ヘンドリクスの革新!)を垣間見、美醜が表裏一体であり、それこそ調和の源であることを思わずにはいられない。
ちなみに、ルベルの楽譜の序文には次のようにあるという。
“サンフォニー”導入部は、(前略)四つの元素が、まだ不滅の法則によって自然の中にその位置を占める時よりも前の混沌(カオス)である。カオスの状態にある四元素をそれぞれ示すために、私は最も良いと思われる方法に従うことにした。バスは地をトレモロを用いて演奏される連続した音で表現し、旋律的に扱われるフルートは(中略)水の流れとその呟きを模倣し、大気はピッコロで演奏されるトリルの持続で描かれる。最後に、生き生きとして燃え立つようなヴァイオリンが火を表す。
各元素の異なった性格はこのように認識され、その全体ないし部分において、分けられたり混合されている(後略)。
~UCCD-2009ライナーノーツ
ルベルの天才を思う。
・ルベル:バレエ「四大元素」
・デトゥーシュ:バレエ「四大元素」
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(1978.6録音)
一方、デトゥーシュの「四大元素」は、いかにもフランス風の優雅で高尚な音調を醸すものだが、些か軽い印象を拭えない。音楽に標題を表すようなものはなく、ひたすら純粋音楽の様相を持つ。しかしながら、大気をモチーフにする第4曲「時とそよ風の歌」などは美しいフラウト・トラヴェルソの音色に欣喜雀躍するほどだし、水の権化たる第6曲エールI「海の女神ネーレーイス達の歌」の爽やかな音に心が動く。しかしながら、聴くべきは火をモチーフにした終曲「シャコンヌ」だろうか。音楽の持つ偉大な力に僕は感動を覚える。
[…] るルベルのバレエ音楽「四大元素」は、冒頭の混沌から終曲の大調和に至る音楽の、やはり録音では聴きとることのできなかった地(バス)、水(フルート)、火(弦)、大気(ピッコ […]