なるほど彼女は醜い。しかし彼女は心を奪う!
時間と恋愛とは、彼女の上に爪痕を残し、そして無慙にも彼女に教えた、分の一つ一つ、接吻の一つ一つが、青春とみずみずしさとから持ち去るものを。
真に彼女は醜い。彼女は蟻であり、蜘蛛であり、また云うべくは、髑髏でさえもある。けれどもまた、彼女は飲料であり、霊薬であり、魔術である! 要するに彼女は言語に絶している!
「名馬」
~ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P143
言葉は両刃の剣だ。醜いばかりの情熱ほど美しいものはない。
6年半前、読響名曲シリーズでエルネスト・ショーソンの交響曲を聴いた。
当時の音楽監督だったシルヴァン・カンブルランの指揮は実に細やかで、また真に迫っていた。何て素晴らしい曲なんだろうと、僕はそのとき感じた。
古い録音を聴いた。
血気盛んな(?)ピエール・モントゥーの独壇場たるサンフランシスコ響との屈指の名演奏。いかにもアメリカのオーケストラらしい開放感と明朗さ。しかし、その内に垣間見える悲劇性、劇的性質をこれほどまでにリアルにとらえた演奏が、録音が他にあっただろうか。
辛うじて僕の記憶にあるのはシャルル・デュトワがモントリオール響を振って録音したものだ。ここには洗練された、文字通りフランス的エスプリが溢れていた。一方、モントゥーの録音は、ずしりと重い低音、金管群の見事な咆哮、第1楽章ラン—アレグロ・ヴィーヴォのどの瞬間をとらえても純ドイツ風の、厳しい音の作りだ。それは録音のせいもあるのだろうが。そして、僕たちの魂にまで届くような第2楽章トレ・ランの、弦楽器群の暗い呻き。さらに、とても懐かしいフレーズに溢れる、麻薬のような終楽章アニメ。30分と少しという濃厚な時間がみるみる過ぎ去って行く。
・ショーソン:交響曲変ロ長調作品20(1889-90)
ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団(1950.2.28録音)
内燃する熱情は、モントゥーの内なるものか、それともそもそもショーソンの音楽に秘められたものなのか。何にせよ、(チャイコフスキーの「悲愴」交響曲にも感じられる)魔性の(?)音楽であるに違いない。文字通り「受難」の如くのパッション!! これほど人の心を鼓舞する音楽が、演奏があろうか。
願わくは、都よ、なおも汝の感冒におかされて、重き、幽暗の、朝の毛布につつまれて眠りてあらんことを。はたまた、妙なる金の紐飾りせる、黄昏の帳帷の中を、誇りかに歩まんことを。
「エピローグ」
~同上書P184-185