ピアーズ ヴィヴィアン ヘミングス ダイアー クロス ブリテン指揮イギリス・オペラ・グループ管 ブリテン 歌劇「ねじの回転」(1955.1録音)

「ねえ先生、だけど、いったい何時になったら、ぼく、学校へ帰れるんでしょう?」
(少年マイルズ)
ヘンリー・ジェイムズ/蕗沢忠枝訳「ねじの回転」(新潮文庫)P175

各場の冒頭に管弦楽による主題と変奏が置かれ、構成されている点が興味深い。
ヘンリー・ジェームズの怪奇小説のオペラ化は、ベンジャミン・ブリテンならではの手法で、室内歌劇として実にドラマティックかつ、リアリティに溢れる作品として見事に再生されている。生涯にわたってブリテンが目指した思想の片鱗が、トマス・ハーディーの詩に曲を付した「冬の言葉」作品52(1953)に見える。
その最終歌曲は「生まれる前と死んでから」というタイトルを持つ。

ある時があった—想像がつくかもしれないが
そう、地球の証が語るように—
意識が生まれる前、
すべてがうまくいっていた時が。

ブリテンはこの歌を、この世に無垢が戻ってくるようにという静かな熱をこめた嘆願として書いた。音楽は、バス声部でしっかりと脈打つ三和音の上で展開し、心を揺さぶる最後の叫びに向かう。「無知の価値がふたたび認められるまで/どれくらい? どれくらい?」これは、ブリテンの音楽の鍵となる瞬間のひとつだ。
デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P149-150

ハーディーの詩は、ほとんど弥勒の世の予言書のようだ。そして、その詩に感化されたブリテンの音楽の美しさに言葉がない。
その直後に創造された歌劇「ねじの回転」にもおそらくその思想の片鱗が寄せられているだろう。「ねじの回転」は、決してオカルトではない。むしろ、あの世が真実であり、この世が幻想であることを示す、吉凶禍福あらゆる事象が舞い降りる21世紀の今にこそ読まれるべき小説であり、そしてまたそれを見事に室内オペラ化したブリテンの傑作を今こそ聴くべき(観るべき)作品のひとつであろうと僕は思う。

件の小説から重要な(と僕が思う)個所をひもとこう。
最終的に、マイルズは女家庭教師の腕の中で息絶えるが、それは死に至ったのではなく、本来の姿に還ったのだといえまいか。

彼は現世のものとも思われぬほど美しく、まさしくグロースさんの言葉通りだった。その姿は、わたしの心から、彼にたいする優しい情熱のほかの凡てのものを払いのけてしまった。その時そこで、わたしの心に焼きつけられたのは、人生に愛よりほかの何ものも知らないような、たぐいなく愛らしい—かつてどんな子供にも見たことのない、神々しい少年の面影だった。
ヘンリー・ジェイムズ/蕗沢忠枝訳「ねじの回転」(新潮文庫)P44-45

マイルズはそもそもそういう印象の男の子だった。そしてまた、少年は次のようにも描写される。彼はほとんど世界の救世主のような有り様だ。

わたしは、特にマイルズと一緒のとき、いわば彼は過去に全然一つの汚点も持たない、まるで生まれたての幼児のような感じがした。小さい子供が、長い過去の歴史を持たないのは当然だが、でも、この美しい少年には、何か、わたしが今までに会った同じ年頃のどの少年よりも飛びぬけて敏感で、それでいて飛びぬけて幸福そうなところがあり、日々新たになるといった感じだった。
~同上書P61-62

一方、かつての召使だったピーター・クイントの亡霊(という名の使人、すなわち聖霊)については次のように描かれている。

とりわけ、最も重要な意味をもって感じられたのは、あの男の不吉な生き姿と—人間は、死んでもしばらくは、生きた姿を保つものらしい!—そして、あの男がずっとブライ邸で過ごした総計恐るべき長さになるあの幾カ月かの日月のことだった。その忌わしい日月がやっと終わったのは、ある冬の明け方、ピーター・クイントが、村に通じる道路で死んでいるのを、早朝の仕事に出かける一人の労働者が見つけた時である。
~同上書P88

人とのつながり、人による認識、それは共振であり、また共鳴だといえるが、それこそが現への執着をとる鍵なのかも。亡霊(という名の使徒、すなわち聖霊)の影響を受けているのか、マイルズは悪戯っ子の側面を垣間見せる。

「あのね」と、やがてマイルズは言った。「先生に、ちょうどこうして貰いたかったからなの」
「何をして?」
「先生に、ぼくのことを、—気分転換に—“悪い子”だって思われたかったの!」
この言葉を言い放った時のマイルズの愛らしさと、うきうきした楽しい表情を、そしてまた、それにもまして、前かがみになって、わたしにキッスしたあの時の様子を、わたしはいつまでも、決して忘れることはできないだろう。

~同上書P149

すべては無邪気な、大人が忘れた純真無垢な本来の姿を少年は示す。
(逆に言うなら、大人が憧れるのはそういう本性だ)
なるほど、ブリテンがこの小説に感化された意志がよく見える。

「わたし、変わったりなんかしないわ。―ただ、判っただけなのよ。あの4人は、確かに、始終会っているんだわ。もしあなたも、ここ幾晩かのうちのいつかに、あの子供達のどちらかと一緒にいたらきっと、ハッキリ判ったに違いないわ。
わたし、あの二人の兄妹を見守っていればいるほど、待てば待つほど、たとえほかに何の証拠もないとしても、あの子供達が、めいめいあんなに計画的に沈黙していること自体が、何よりの証拠だと感じられてくるの。あの二人は、絶対に、たとえ間違っても、けっして自分らの昔の友達のことは口にしないし、またマイルズは、自分の退学についても、同様に、かたく口を閉じているわ。
おお、そうよ、わたし達はここに坐って二人を見ており、そして二人は、あそこで、好きなだけ、無邪気な風をしてわたし達に見せびらかすことが出来るわ。でも、彼等は、おとぎ話の本に読みふけっている風を装ってはいるけど、本当は、死んだ友達の面影を夢中で追っているのよ。マイルズは、妹に本を読んで聞かせてなんかいやしないのよ」

~同上書P152-153

中でも、この言葉の情景を見事に音化するのがブリテンの真骨頂。子どもたちはこの世にあってあの世と交信し、実際のところ幸福に浸っているのであろう。第1幕第8場「夜」のシーンが特に幻想的で美しい(弾けるリズムでストラヴィンスキーを髣髴とさせる第6場「レッスン」もブリテンの真骨頂)。

・ブリテン:プロローグと2幕の歌劇「ねじの回転」作品54(1954)
ピーター・ピアーズ(語り手/ピーター・クイント、テノール)
ジェニファー・ヴィヴィアン(女家庭教師、ソプラノ)
デイヴィッド・ヘミングス(少年マイルズ、ボーイ・ソプラノ)
オリーヴ・ダイアー(少女フローラ、ソプラノ)
ジョアン・クロス(家政婦グロース夫人、ソプラノ)
アーダ・マンディキアン(元女家庭教師ミス・ジェッセル、ソプラノ)
ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス・オペラ・グループ管弦楽団(1955.1.3-7録音)

第2幕第7場は、「少女フローラ」と題されており、湖のシーンだが、亡霊(同じく聖霊)たるミス・ジェッセルの姿はグロース夫人には見えない。原作にはこうある。

じっさい、わたしには彼女の応援が必要らしかった、で、グロースさんの開眼は絶望的だと判ると、わたしはそのはげしい打撃で、一瞬、自分の足許がめちゃめちゃに崩れ落ちるのを感じた。
~同上書P233

縁に随うことだ。ただし、そもそも縁がなければ開眼は難しい。
19世紀末にあって、ヘンリー・ジェイムズが道劫並降たる現代に希望をもって予知した小説のようにも思える。しかも、ブリテンの大志(「冬の言葉」終曲)に発動したオペラ化に僕はとても感動した。

わたしはただ“自然”を信頼し、重要視していかなければならない。いま、わたしの恐ろしい試練はもちろん、不自然な、不愉快な方向に押し進められてはいるが、しかし結局、ただ一回転すればふつうの人間の美徳に変わるのだから、善い方の状態になるネジの一回転を、わたしはあくまで追求していくべきだ。とはいえ、自らあらゆる自然性を一身に具備しようとする試みほど、困難な芸当はないであろう。
~同上書P260

小説の中で、最終的に「わたし」はそう悟る。何より生死の問題の解決はおおよそ人間の力では無理なことなのだ。
少年マイルズはやっぱり自由自在だ。これは空想でも幻想でもない。

「ええ、ぼく、とっても遠くまで行ったの。この辺一帯をぐるっと回って—何マイルも何マイルも先まで。あんなに自由だったの、ぼく生まれて初めてだ」
~同上書P267-268

「ねじの回転」は様々な解釈の余地があり、これまでもたくさんの物議を醸してきた名作だが、私見では、「わたし」の言葉に物語の意味を解く鍵があるように思う。

—わたしは、とても自由自在に、とても立派に、それをやり遂げられる感じがした。
これは、まるで人間の霊魂を救うための悪魔との闘いのようだ、とわたしが考えていたとき、人間の霊魂—わたしが震える両手を差しのべてしっかり抱きしめていた—は、その美しい幼い額に、きれいな露のような汗を浮かべていた。

~同上書P275

少年マイルズこそ現代の救世主なのかもしれない。

過去記事(2014年8月14日)
過去記事(2016年1月22日)
過去記事(2016年8月10日)
過去記事(2020年12月9日)抜粋だが、この録音から半年後のほぼ同一キャストによるアムステルダムでのライヴ演奏も素晴らしい出来。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む