「絵画、色彩は〈愛〉によって霊感を与えられるのではないだろうか。・・・われわれの生が不可避的に死へ向かっている以上、生きている間に、われわれはそれを愛と希望の色で塗らなければなるまい。この愛のなかに生の社会的な論理と各宗教の根本義が存在するのだ。私にとって〈芸術〉の完全さ、生の完全さは、聖書的な起源から由来している。この精神なしには、〈芸術〉においても生においても、論理、構成の単なる仕掛けだけでは何の実りももたらさないだろう」
このシャガールの言葉は晩年のものだが、しかし彼の視覚構造の本質を現わしている。シャガールはキュビスムに触れ、キュビスムの限界を見ぬくことによって二重の超脱が可能になる。一つは、芸術を発展させる認識を、対象レヴェルでの認識から、心情的把握へと意味を転じ、かかる形で認識を深めたこと。もう一つは物象を表現媒体と見ることによって、逆に、内心について離れぬイマージュを、特異な気分の媒体物として使いうるようになったこと、である。
「シャガールのなかの『聖書』の風景」
~「辻邦生全集19」(新潮社)P141
シャガールにとって生きることこそ創造の源泉であり、その生きることの内に絶対的な信仰というものがあったことがわかる。個人的にはシャガールの方法は、ベートーヴェンの場合と同じく目前の対象をそのまま音化するのでなく、まさに対象によって触発された心情を絵画に描いたのだと思うのだ。
シャガール晩年の「ダフニスとクロエ」リトグラフ。
文字通り〈愛〉によって霊感を与えられた作品たちが、鮮やかな色彩で僕たちの目前に迫る。
シャガールに触発され、今夜はミッコ・フランク指揮パリ管による「ダフニスとクロエ」。
目の前で繰り広げられるバレエそのものを音楽だけで描き切り、聴く者を絶妙なバレエの世界に誘う、色彩感豊かな名演だ。
どちらかというと「聖的<俗的」な愛を描くミッコ・フランク。
音楽は豊穣で、かつ色香に溢れ、最後の大団円に向って外へ外へと解放される。
パリ管弦楽団の織り成す音楽は実に精密だ。
・ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」
ノラ・グービシュ(メゾソプラノ)
ロラン・ドガレイユ(ヴァイオリン独奏)
ミッコ・フランク指揮パリ管弦楽団(2012.12.19Live)
パリはサル・プレイエルでのライヴ収録。
着座して指揮するミッコの、落ち着き払った姿勢から、場面の進行とともに熱くなる様子が手に取るようにわかる。最終場の「全員の踊り」に至るエネルギーとパワーは観客を圧倒し、映像を観る者さえも引き込むほどの力に満ちる。
私がすべての人々に感じるこの愛の言葉を、おそらく彼らもそこで口にするだろう。おそらく敵はいなくなり、母親が愛と労苦をもって子供をうみだしたように、若者たちも少年少女も新しい色彩で愛の世界をつくりあげるだろう。
その宗教は何であれ、すべての人々は、悪意と激昂から離れて、ここに来て、この夢を語ることができるだろう。(・・・)
この夢は可能だろうか。
だが、芸術においても人生に同じく根底に〈愛〉があればすべては可能なのだ。
(マルク・シャガール)
~同上書P147
僕たち人間すべてに具わる真我にすべての人々がリーチできればシャガールの夢はすべての宗教や思想を超えて確実に可能だ。
アンセルメ指揮スイス・ロマンド管 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1965.5録音) クリュイタンス指揮フランス国立放送管 ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第1&第2組曲(1953.6録音)ほか ルネ・デュクロ合唱団 クリュイタンス指揮パリ音楽院管 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1962.6録音) デュトワ指揮モントリオール響 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1980.7-8録音) クリュイタンス指揮パリ音楽院管 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1962.6録音) ブーレーズ指揮ベルリン・フィルのラヴェル「ダフニスとクロエ」(1994.5録音)ほかを聴いて思ふ モントゥー&ロンドン響のバレエ音楽「ダフニスとクロエ」を聴いて思ふ