誰しもが持つであろう原体験。
こと音楽に関しては、少年の頃に聴いた作品の、あるいは演奏(歌唱)の衝撃は並大抵ではない(その後の人生を左右するほど大きかろう)。辻邦生さんの場合は、シューベルトであり、またロッテ・レーマンだったようだ(ちなみに、僕の場合は、辻さん同様中学3年のときに聴いた、アルトゥール・ルービンシュタインのショパンだった)。
しかし私が日本音楽から遠ざかったもう一つの—そしてこの方が遥かに本質的な問題を含む—理由は、中学4年のある夕方、ラジオでシューベルトの歌曲を聴き、その美しさに魅了されたからであった。そろそろ夕づいて薄暗くなってくる階下の畳の部屋で、深い憂愁の思いを歌ったロッテ・レーマンの声は、まるで恋のように私の心を捉えたのだった。私が歌曲に魅せられたのか、それともロッテ・レーマンという一女性の声に惹かれたのか、今となっては定かではないが、少なくともそのとき、美しい歌声の主が誰だかを知ろうとして、当時有名なレコード解説者野村あらえびす(これは堀内敬三だった気もする)の言葉に注意を集中していたことは事実だった。私はロッテ・レーマンという名前をうっとりとして聞き、鑿で金属板に彫りつけるように、胸のうちにそれを刻み込んだのであった。
ともかくそれは私の魂を根底から変革するような事件だった。私は身も心も蠟のように甘美に溶かしてしまう〈美〉というものが、地上に存在するということを、そのとき、遅まきながら、痛切に知ったのだ。いや、知ったというより、それに取り憑かれたというべきかもしれない。この音楽の一撃が、現在にいたるまでの、私の〈美〉の根源を形成しているからである。
「ロッテ・レーマンに魅了されて」
~「辻邦生全集19」(新潮社)P15-16
気のせいか、戦前の古い録音から薫る、何とも表現し難い高尚な、そして、喜びや悲しみや、あるいは憂いや、そういう情感が音楽と共に棚引く様子に僕はいつも感激する(庶民が気軽に音盤を聴けなかった時代ゆえか、録音する側の気概までもが刻み込まれているようだ)。
ロッテ・レーマンがロベルト・シューマンを歌う。
何と伴奏はブルーノ・ワルター。
ロベルトがクララと結婚する直前に書き上げた歌曲集はどれもがクララへの深い恋慕に満たされており、あまりに美しく、そして切ない。
ハイネの詩による「詩人の恋」など、熱烈な恋愛感情から失恋の悲しみ、そして、昔を振り返っての郷愁が連綿と歌われる。そこではロッテ・レーマンの深みのある声が、ワルターの控えめながら慈しみ溢れるピアノを伴ないロベルトの心情を切々と、見事に歌い上げるのである。
ハイネの詩に曲を付した「詩人の恋」は、まさにクララに恋する自身の思慕の見事な音化だ。
中でも、第12曲「明るい夏の朝に」はいかにもロベルト・シューマンらしい愛らしい(それでいて憂いのある)音楽だ。
ワルターによる「女の愛と生涯」には、エディンバラ音楽祭におけるフェリアーとの共演もあるが、こちらもライヴならではの生命力に溢れ素晴らしい。
フェリアー ワルター 1949年エディンバラ音楽祭ライヴ!(1949.9Live) ワルター指揮ウィーン・フィルのワーグナー「ワルキューレ」第1幕(1935.6録音)を聴いて思ふ 素晴らしく美しい5月に 1949年エディンバラ音楽祭