コリリアーノ ローズ ヘンドル ワルター指揮ニューヨーク・フィル ベートーヴェン ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲ハ長調作品56(1949.3.21録音)ほか

ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲ハ長調作品56(1803-04)
ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(1805-06)
交響曲第4番変ロ長調作品60(1806)
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(1806)

2管編成が基本という中で、この時期に創作された楽曲が一様にフルート1本であることの事由を推量ながらつきとめた大崎さんの研究成果に恐れ入る。

(交響曲)第4番がフルート1本編成であったのは、ナポレオン占領中のヴィーンから疎開するリヒノフスキー侯にお供をして訪れたシレジアの片田舎、トロッパウの城主オッパースドルフ伯の宮廷楽団の編成を配慮したことによる、と一般には考えられている。というよりは、シンフォニーとしてのこの例外的な編成の由縁はそのように理解するほかなかったのが実相だろう。しかしフルート1本編成はシンフォニー第4番に限らず、トリプル・コンチェルト、ピアノ・コンチェルト第4番、ヴァイオリン・コンチェルトと、この時期のオーケストラ編成に特有の問題であり、その背後には、当時のベートーヴェンを取り巻く社会的環境があった。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P218

その点にまず疑問を投げかける点がいかにも研究者らしい。
当時、何よりウィーンがナポレオン軍の占領下にあったという事実。
それは、作品の出版の見通しが立たないという状況であったということだ。大崎さんは独自の見解を説く。

オッパースドルフ宮廷を訪問することは事前から予定され、しかも同宮廷楽団の陣容を、リヒノフスキー侯などから聞いて知っていて、フルート1本編成にしたのだろうか。もっとありそうなのは、フランス軍に占拠された首都からの脱出はかなりの長期に及ぶことが見込まれ(10月末の事件がなければ滞在はもっと長くなったであろう)、その間に何らかの機会があるかもしれないという漠たる思いがあり、楽団のあるところにはパート譜作成の人員は居るだろうから、スコア譜を持ち出せば、何とか演奏機会があるかもしれない、であれば、2曲のピアノ・コンチェルトを持ち歩いて方々で演奏して回った若い時期を想い起こし、できるだけ演奏しやすい形にしておこうと。フルート1本編成は、オッパースドルフ伯宮廷楽団の編成とは関係なしに選択された、ということになる。
“できるだけ演奏しやすい形”とは何かと言えば、結果が証明している。この編成であれば、少なくともオッパースドルフ宮廷では可能だったのである。

~同上書P225

この推測はおそらく正しいように思える。
少なくともベートーヴェンにとって創作活動そのものが生きるための糧を獲得する手段であったことを僕たちは忘れてはならない。楽聖もひとりの人間だったということだ。

ブルーノ・ワルターを聴いた。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲ハ長調作品56(1949.3.21録音)
・レオノーレ序曲第3番作品72a(1954.12.6録音)
・エグモント序曲作品84(1954.12.6録音)
ジョン・コリリアーノ(ヴァイオリン)
レナード・ローズ(チェロ)
ウォルター・ヘンドル(ピアノ)
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

安定のベートーヴェン。いかにも男性的な、芯のある音はニューヨーク・フィルハーモニックゆえか、それとも渾身のモノラル録音ゆえか。女性的な協奏曲がかくも堂々と響くことに独奏者はともかく(?)ブルーノ・ワルターの力量だと思う。

ワルターのベートーヴェン・サイクル—録音スタジオ以外ではこれが生涯最後—は、1949年2月24日に始まった。このころには、ワルターは指揮界の重鎮となっており、ドイツ・オーストリア音楽の最大の解釈者の一人と見なされていたから、評価は予想される通りに祝賀色が強かった。9曲の交響曲だけでなく、他の管弦楽曲の大半も演奏された(独奏ピアノのための協奏曲は除く)。つまり、主だった序曲、エリカ・モリーニ独奏のヴァイオリン協奏曲、首席チェリストのレナード・ローズ、コンサートマスターのジョン・コリリアーノに加えて助手指揮者のウォルター・ヘンドルがピアノを弾いた三重協奏曲である。三重協奏曲については録音も行われ、ヘンドルはワルターからそのことを伝えられた時に感じた強い期待感を覚えている。「私はレコーディングをしたことがありませんでした。だから、ブルーノ・ワルターが三重協奏曲を指揮して録音する計画だと言った時、私は全力で打ち込みましたが、チェロのレニー・ローズは不安そうでした。これはチェロの全レパートリーで一番難しいものの一つですから。(もちろん彼はすばらしく弾きました。)コンサートマスターのコリリアーノは平気でした。彼はいつだってプロでしたから。というわけで、私たちは本格的に取りかかるまではいろいろ苦労しました。それからレコーディングをして、ワルターはとても満足していました。」
エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P463

誰もがブルーノ・ワルターの掌の上で踊るように、力を発揮するのであろう。まさにそれは巨匠の慈しみの力の成せる業なのだろうと思う。
そして、コロンビア交響楽団との交響曲第4番。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1958.2.8&10録音)
・交響曲第5番ハ短調作品67(1958.1.27&30録音)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

このフルートは誰が演奏しているのだろう?
たった一人のフルーティストが、交響曲第4番の可憐な美しさを支える(特に第1楽章主部アレグロ・ヴィヴァーチェ!!)。
若い時分から繰り返し聴いたワルター指揮コロンビア響によるステレオ録音(長年の愛聴盤)の素晴らしさをあらためて思う。(まして成立事情を具に知った今、この交響曲の凄さを痛感する)

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