録音ではオルガンの真の威力を測ることができないのだが、ヘルムート・ヴァルヒャの弾くバッハのもつ、敬虔な祈りの力というのか、目に見えないオーラが発するパワーに僕はずっと感心させられてきた。
盲目であるがゆえの研ぎ澄まされた感覚と、揺るぎのないテクニックに支えられ、バッハの音楽が宇宙に拡がる。そして、どの楽曲を聴いても間違いなくヴァルヒャの音が聴こえる。それは、とても謙虚で、慈悲深く、それでいて信仰を告白する主張がところどころに刻印されるのだ。
バッハは自然が調和的に与えた音秩序に対して、合理的人工的秩序を対置し、それによって音楽を自然への従属から、音楽自体の自律的システムへと転換させる。音楽史のコペルニクス的転回が起こったのである。
「バッハの神に沿って—森有正氏の思い出に」
~「辻邦生全集19」(新潮社)P66
辻さんの読みは鋭い。これぞ天人合一の奇蹟といえまいか。
このことは自然的感情が無意味だということではなく、それ以上に表現形式、表現技術が芸術にとっては決定的であることを言っている。バッハはその点では音楽言語を自在に駆使してあらゆる情緒を喚起できる稀代の作曲家だった。バッハにとって音楽が客観的秩序であったということは、別の意味でいえば、このメカニズムを使えばすべての情緒の階梯を自由に上り下りできるということだ。それはある楽曲があれば、それを自在に変奏でき、また容易にパロディを作り得ることを意味する。
~同上書P68
バッハは音楽に通暁していた天才だ。
そして、そういう天才の作品の成り立ちを、その方法を、おそらく直観的にわかっていたのがヴァルヒャその人ではなかったか(この人こそバッハの生まれ変わりではなかったのか?)。
心から美しいと思えるヴァルヒャの表現と、オルガンの響きの奥深さ。
フーガト短調BWV578(小フーガ)など、簡潔さの中に複雑な響きをもたらす傑作。
そしてまた。イタリア音楽の影響を受けたパストラーレの明朗で可憐な美しさに生きることの希望を思う。
ヴァルヒャ J.S.バッハ トッカータとフーガBWV565(1956.9録音)ほか ヴァルヒャ J.S.バッハ 前奏曲とフーガニ短調BWV539ほか(1970.5録音) ヘルムート・ヴァルヒャのバッハ「6つのトリオ・ソナタBWV525-530」を聴いて思ふ 心をつなぐ