クリストファー・ホグウッド没後10年目の日。
1980年代の初め、音盤がリリースされるたびに話題になっていたオリジナル楽器によるモーツァルトの交響曲録音。当時の僕はブルーノ・ワルターのモーツァルトに一辺倒だったこともあり、完全に無視していたが、1986年だったか、ホグウッドかぶれの仲間に(無理矢理?)聴かされ、その新鮮な響きに僕は驚きをもって歓迎した。
すべては懐かしい想い出だ。
モーツァルトの交響曲第40番ト短調K.550。
この、人口に膾炙した音楽を初めて聴いたとき(カール・ベーム指揮ウィーン・フィル盤)、中学生の僕は(特に第1楽章アレグロの例の第1主題に)魅了された。
その思いは今も変わらない。
どの楽章においても一瞬の弛緩もない、人間業とは思えない、これ以上はない高度に凝縮された美。
その音楽を、学究畑のホグウッドは見事に解釈し、そして再現した。
最初に聴いたのはクラリネット付きの第2稿だった。
・モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550(第2稿)(1982.3録音)
ヤープ・シュレーダー(コンサートマスター)
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
その後、クラリネットのない初稿を聴き、艶やかでない(?)漆黒の響きに、一層の哀感を感じ、僕はさらに惚れ込んだ。
・モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550(初稿)(1981.11録音)
ヤープ・シュレーダー(コンサートマスター)
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
おそらく数十年ぶりだと思う。
録音から40余年を経、熟成されたかのような響きに感無量。
おそらく僕の感覚が随分変化したのだろうと思う。賛否両論あれど、ホグウッドのモーツァルト録音は録音史上画期的な試みであり、今こそこれらの演奏を正面から真摯に聴くべきだと思う。
ベートーヴェンであったり、ハイドンであったり、それらの作品を当時の楽器で再現するという革新的な所業を次々と成す指揮者に周囲は瞠目したが、ホグウッドは「ただ自分がやりたいことをやっているだけ」とあっさり言ってのけたとどこかで読んだ。素直な人なんだと思う。
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