
超絶名演奏として名高い「ローマ三部作」決定盤。
古いモノラル録音ながら、その熱狂、その抒情、すべてがバランスの中にあることを教えてくれる逸品。
果たしてこの録音かどうかは知らないが、スティーヴ・ハケットもトニー・バンクスもオットリーノ・レスピーギの音楽に目がないようだ(間違いなくこの音盤を聴いているとは思うが)。



35年ほど前、僕は何日間かローマに滞在した。
僕のかすかな記憶では、イタリアは、ローマはどこも砂埃舞う場末のような印象だった。
イタリアはまるで遠くでくすぶる火山のように予測不能で移り気だ。だがわたしたちはすぐにこの国とまったく新しい絆を結ぶことになった。壮大な楽曲と古代神話を思わせる感触がイタリアのファンたちの想像力を刺激した。自分たちの祖先である古代ローマ時代にまで遡る、はるかな過去と歴史に彼らが強くつながっているからだ。
ローマに入るとまるで帰郷したような気持ちになった。飛行機を降りた瞬間から、はっきりとなにかがあると分かる。過去、現在、未来が溶け合う世界からの魔法のような無言の歓迎。この古代世界の縁に立ちながら、わたしはここに何度も戻ってこなくてはならないと感じていた。
トニーとわたしは偉大なるレスピーギの「ローマの松」「ローマの泉」が大好きだった。この都市は悲惨な悪夢から、ローマじゅうの泉から湧き出る静謐な夢まで、すべてを見てきたかのようだ。ローマは長きにわたって霊感を与えてくれる源泉であり、とりわけわたしのアコースティック・アルバムには大きな影響を与えている。近郊にあるチボリ庭園には世界有数の水路と噴水のコレクションがあり、後年わたしはツアー終わりのある晴れた夏の日に、ジョーとゆっくり散策することができた。
数々の泉や柱廊、巨大な広場に付すぐらいアーチ道。その壮大な展望から迷宮のような狭い通りまで、ローマには目を釘付けにさせられるものばかり。そのどれもがわたしたちの音楽にある想像力に富んだ色合いとつながっている。この地の芸術・文化の多くに刺激を与えた古代神話の気配を感じることができる。
~スティーヴ・ハケット/上西園誠訳「スティーヴ・ハケット自伝 ジェネシス・イン・マイ・ベッド」(シンコーミュージック・エンタテイメント)P145

70年代前半のジェネシスの音楽にある煌めかんばかりの色彩はローマの数多の遺跡などからのインスピレーションということだ。
レスピーギの「ローマの松」「ローマの噴水」、そして晩年のファシストとの連関を想起させるということで演奏を拒む指揮者の多い「ローマの祭り」(ハケットも意識してかこの曲を挙げていない)という傑作は、トスカニーニの演奏をもって打ち止め。これほどの生命力に溢れ、推進力に富んだ色彩感はなかなか出せまい。
見事な音絵巻。少なくともこれにてレスピーギの天才は証明できる。
同時に、それを再現するトスカニーニの想像力、そして創造力は並大抵のものではなかった。
特筆すべきは「ローマの噴水」の情景描写のあまりの美しさ。水が自然と一体であることをトスカニーニは音でもって縦横に語り掛ける。
第1部「夜明けのジュリアの谷の噴水」
第2部「朝のトリトンの噴水」
第3部「真昼のトレヴィの噴水」
第4部「黄昏のメディチ荘の噴水」
もちろん「ローマの松」は至高のパフォーマンス!
第1部「ボルゲーゼ荘の松」
第2部「カタコンブ付近の松」
第3部「ジャニコロの松」
第4部「アッピア街道の松」
前2者と比較して、確かに「ローマの祭り」は第1曲「チルチェンセス」から雄渾さと凶暴性(?)が顔を出す。不穏な空気はまさに初演者トスカニーニならではの真骨頂だと思う。
第1部「チルチェンセス」
第2部「五十年祭」
第3部「十月祭」
第4部「主顕祭」
音楽は夢を描かせてくれる。
興奮と安寧を往来し、僕たちの意識は世界を巡る。
トスカニーニの名盤を耳にして僕はまたもや感動する。
