The Rolling Stones “Out Of Our Heads” (UK Version) (1965)

特定のジャンルの縛りから逃れて音楽をもっと拡げたいというわたしの欲求は、1970年の時点ですでに大きなものになっていた。学校を卒業してから5年間、わたしは『メロディ・メーカー』のメンバー募集欄に募集を出し続けた。
スティーヴ・ハケット/上西園誠訳「スティーヴ・ハケット自伝 ジェネシス・イン・マイ・ベッド」(シンコーミュージック・エンタテイメント)P120

スティーヴ・ハケットがジェネシスに加入することになったきっかけである。
そもそもあらゆるジャンルの音楽を志向していたスティーヴにとって一つのジャンルに特化したバンドでの演奏は退屈なものだった。

ギターを大好きになったのは、エレキ・ギターとそれを弾く当時のいかしたプレイヤーたちの影響が大きい。聴こえてきたギター・ソロで初めて完璧だと思ったのは、「彼氏になりたい」でのブライアン・ジョーンズのソロだ。ハーレー・ダヴィッドソンのエンジン音みたいだった。ストーンズにはわたしをぶっ飛ばしてくれる巧みなギタリストが二人もいてくれた。キース・リチャーズなら「ルート66」のソロが好きだった。反抗的な態度で熱いギターを鳴らすストーンズは、わたしにとって自由のシンボルになった。
~同上書P88-89

初期ストーンズの刺激的な、それでいて新鮮な音に当時の多くの若者が痺れた。スティーヴにとっても最初はストーンズだったようだ。60年も前の音楽が、時間と空間を超え、そして古い録音を超え、真に迫る。
スティーヴは書く。

新しい世界が開けようとしていた。毎晩、学校から帰ると本当にやりたいことが始まる。校門を出ると、家に帰ってギターを手にするのが待ち切れない毎日だった。成績なんか絶対につけられない。手首をひっぱたく人間もいなければ、CマイナスやF、Aなんていう採点をする人間もいない。楽しんでやるつもりだったから、そうでなければやらない。自分が出したいサウンドを出したいというその一点に夢中になって練習した。ハンク・マーヴィンやブライアン・ジョーンズそっくりに弾きたい、彼らの秘密を全部知りたいと強く願った。何時間練習しただろう。時間が過ぎるのもまったく気がつかなかった。
~同上書P89

子曰く、
「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」

という孔子の言葉を思い出す。だからこそスティーヴ・ハケットは後にジェネシスに加入でき、世界的成功を収めることができたのだ。後に彼は、自身のアイドルに出会ったときのことを次のように綴る。

あるときキングス・ロードを歩いていたら、黒のスーツでバッチリ決めたブライアン・ジョーンズを見かけた。ピーター・ジョーンズ百貨店の前でミック・ジャガーとすれ違ったこともある。ダブルのぴかぴかのブレザーにサングラス姿の彼は、どこから見てもロック・スターだった。こっちはダサい灰色の制服だから「これじゃだめだ。こんな服はできるだけ早く卒業して、学校やめてバンドに入らないといけない」と思ったものだ。
ストーンズはメンバーの格好を知る前に音楽そのものに惚れ込んでいた。『ノット・フェイド・アウェイ』も購入済みだったが、それより好きだったのはそのB面の「リトル・バイ・リトル」。ハーモニカのサウンドにぞくっとした。やばい世界からけしかけているように聴こえた。

~同上書P104

外見はもちろんのこと、音楽そのものにその真価を見出している点はスティーヴの優れたセンスなんだと思う。

1965年のザ・ローリング・ストーンズ。

・The Rolling Stones:Out Of Our Heads (UK Version) (1965)

Personnel
Mick Jagger (lead vocals, backing vocals, harmonica)
Keith Richards (electric guitar, backing vocals)
Brian Jones (electric guitar, acoustic guitar, harmonica, piano, organ)
Bill Wyman (bass guitar)
Charlie Watts (drums, percussion)
Jack Nitzsche (percussion, organ)
Ian Stewart (piano, organ, marimba)
J.W. Alexander (percussion)

“Mercy, Mercy”でのブライアンのファルセット・コーラスはもちろんマルチ・プレイヤーとしてのブライアンの個性が光る。やはりブライアン在籍時の60年代ストーンズの音は(私見ながら)特別だ。

ハイド・パークでは隔週ペースくらいでフリー・コンサートがおこなわれていた。わたしはそこでジェスロ・タル、ピンク・フロイド、ブラインド・フェイス、トラフィック、ザ・ナイス、それからストーンズを観た。悲しいことにブライアン・ジョーンズの悲劇的な死からまもない時期だった。わたしは彼のスライド・ギターや、いろんな楽器を操れる才能、そして独特なスタイルが大好きだった。一人の大スターが夜空に消えていってしまった。これはカウンターカルチャーが逆転することはあり得ないという不吉な流れの先駆けだった。これから数々のスターたちが至るところで命を落としていく。ベビー・ブーマー世代にとってロックンロールの死が宣告され始めたのは、ブライアンが不慮の死を遂げた69年だ。ブライアンは殺されたといってもよかったが、それに手を貸したのも本人だった。
~同上書P110

音楽史の中でロックの大スターたちが綺羅星のように出ては泡のように消えていく、その現実を当時の人々はどのように受け止めたのだろう。破壊的な音楽は、文字通り自らを破壊するだけの力を秘めていた、その証こそが「スターの死」そのものだったが、その後の歴史を見ると、ロック・ミュージックは決して死ななかったことがわかる。
中で、ストーンズは、ブライアン・ジョーンズは先駆けだった。

The Death of Brian Jones 1969/07/03

ジャガー/リチャーズによる”Heart Of Stone”に僕は特別にシンパシーを覚える。

そして、アルバムの掉尾を飾る、同じくジャガー/リチャーズ作”I’ m Free”は、当時の若者の心境を歌ったいかにもという楽曲。シンプルな熱気が美しい。

The Rolling Stones “Paint It, Black” (1966) ブーレーズ指揮BBC響のシェーンベルク「期待」(1977.4録音)ほかを聴いて思ふ ブーレーズ指揮BBC響のシェーンベルク「期待」(1977.4録音)ほかを聴いて思ふ the rolling stones:singles collection*the london years the rolling stones:singles collection*the london years

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