プライ ベルガンサ アルヴァ ダーラ モンタルソロ アバド指揮ロンドン響 ロッシーニ 歌劇「セヴィリアの理髪師」(1971.9録音)

楽聖ベートーヴェンと巨匠ワーグナーの間に聳え立つのが、ロッシーニだったとは。
ロッシーニは音楽史に燦然と輝く二人の天才に会っていた。各々は互いにその才能を認め合っていたらしい(ベートーヴェンに至ってはロッシーニの才能に嫉妬したというが、真偽は定かでない。個人的には作り話のように思うが)。

ジョアキーノ・ロッシーニとリヒャルト・ワーグナーのたった一度の会談。

《セビリャの理髪師》と《ギヨーム・テル》の作曲家が、40年の時を隔てて、かたや19世紀初めに器楽音楽に革命をもたらしたベートーヴェン、かたや19世紀末頃にオペラに革命を起こすワーグナーという、2人の途方もない天才に会ったというのは、誠に稀有なことではないだろうか。また《フィデリオ》以降、《タンホイザー》が現れるまでの間、新しい形式の卓越した創始者であり、旋律の魅力で同時代人を魅了する任がイタリア人のロッシーニに割り当てられた。それは、楽劇の未来の運命にも異論なく、ロッシーニなりの影響を与えたものであった。
エドモン・ミショット/岸純信監訳「ワーグナーとロッシーニ巨星同士の談話録(1860年3月の会見)」(八千代出版)P70

基本的に僕はずっとロッシーニが苦手だった。
何だか無条件に明朗快活な(?)音楽に、(美食家という)先入観も邪魔をしてどうにも受け入れがたかったのだが、ベートーヴェンとワーグナーの音楽や生涯を勉強していく中で、ロッシーニの存在を放っておけなくなった(たぶんオペラ・ブッファばかりが有名になり、オペラ・セリアを知らないがゆえにそんな愚言を呈することができたのかもしれない)。

ロッシーニは1829年の「ギヨーム・テル」を最後にオペラの筆は折るが、晩年はいくつかの宗教音楽を世に送り出している。そのあたりもフランツ・リストの偽善ぶり(?)と近いものを(勝手に)感じ、避けてきたのだろうと思う。

しかしながら、作品に虚心に耳を傾け、繰り返し聴くにつれ、外面の明るさとは別に、根底に流れるペーソスというか、悲哀を投影する音調も感じられ、実は面白いのではないかと思うようになった。それもこれも指揮者の技量に拠るところが大きいと思う。

ロッシーニ・ルネサンスの先鋒、クラウディオ・アバドのロッシーニ。
まずは「セヴィリアの理髪師」をおいて他にない。

・ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」(1816)
ルイジ・アルヴァ(アルマヴィーヴァ伯爵、テノール)
エンツォ・ダーラ(ドン・バルトロ、バス)
テレサ・ベルガンサ(ロジーナ、メゾソプラノ)
ヘルマン・プライ(フィガロ、バリトン)
パオロ・モンタルソロ(ドン・バジーリオ、バス)
レナート・チェザーリ(フィオレッロ、バリトン)
ステファニア・マラグー(ベルタ、ソプラノ)
ルイジ・ローニ(役人、バス)
アンブロジアン・オペラ・コーラス
ジョン・マッカーシー(合唱指揮)
テオドール・グシュルバウアー(チェンバロ)
バルナ・コヴァッツ(ギター)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(1971.9録音)

アバドのオペラ・デビュー作は超名盤。
人間の感性を刺激する、興奮を覚えさせる音楽の作りを、これほどまでにストレートに、かつ推進力をもって表現したのがアバドの能力の高さだったのだろう。

第1幕、フィガロのギター伴奏(バルナ・コヴァッツによる)でアルマヴィーヴァ伯爵(ルイジ・アルヴァ)が歌う第3番カンツォーネ「もし私の名を知りたければ」は、リンドーロという偽名を使っての求愛だが、その切ない歌唱は内なる心情がこもって素敵。そして、それに応えるようにロジーナ(テレサ・ベルガンサ)が歌う第5番カヴァティーナ「今の歌声は」は、ベルガンサの名唱が光り、ロッシーニの性急なコントラストに富んだ見事な音楽と相まって、最高の聴きどころを創出している。

あるいは、第2幕では第15番「嵐の音楽」のロッシーニらしい情景描写に感化され、続くアルマヴィーヴァ伯爵がロジーナに遂に正体を明かすシーン、(フィガロを含めた)第16番三重唱「ああ、何と意外な展開でしょう」の愉悦的な恋歌に嬉しくなる。

そして、フィナーレ第19番「この素晴らしく幸せな結びつきを」の躍動美にロッシーニの天才をあらためて思う。

ロッシーニ:「またですか! (額を打ちながら、大層愉快げに)つまり、『未来音楽』の素養が私にもいくらかはあったということですか?・・・貴方には、どうも欲をかきたてられますよ! 私が歳を取り過ぎていなかったなら、仕事を再開したいところでした。そうなったら、『旧体制め、見てろ』ってところでしたな」

ワーグナー(即座に返して):ああ、マエストロ、《ギヨーム・テル》の後に筆をお折りにならなかったなら—37歳だなんて罪ですよ!—その頭脳からどんなに沢山のものが引き出されたか、ご自身もご存じないでしょう! まさにこれからというところでしたのに・・・」
~同上書P56-57

ちなみに、有名な序曲は、オペラ・セリア「イギリスの女王エリザベット」の序曲の転用である。

アバド指揮ヨーロッパ室内管 ロッシーニ 歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲(1989.4録音)ほか マクネアー ヴァレンティーニ=テッラーニ ステューダー レイミー ライモンディ アバド指揮ベルリン・フィル ロッシーニ 歌劇「ランスへの旅」(1992.10Live)  アバド指揮ロンドン響のロッシーニ序曲集(1972, 75 &78録音)を聴いて思ふ マリア・カラスのロッシーニ歌劇「イタリアのトルコ人」(1954.8-9録音)を聴いて思ふ マリア・カラスのロッシーニ歌劇「イタリアのトルコ人」(1954.8-9録音)を聴いて思ふ チョン・ミョンフン指揮ウィーン・フィルのロッシーニ「スターバト・マーテル」(1995.6録音)を聴いて思ふ チョン・ミョンフン指揮ウィーン・フィルのロッシーニ「スターバト・マーテル」(1995.6録音)を聴いて思ふ キルヒマイアー・ヴォーカル・コンソートのロッシーニ「小荘厳ミサ曲」を聴いて思ふ キルヒマイアー・ヴォーカル・コンソートのロッシーニ「小荘厳ミサ曲」を聴いて思ふ

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