
救いが無いということ、その苛烈な現実を生きるしかない当事者の気持ちは、当事者自身にしかわからないはずだからです。我が子の命を奪われた母親にとって、周囲の人々からの慰めは、ありがたいことではあっても、救いと言えるようなことではないはずだからです。そして、そのような救いの無い現実(この世の無常)の前に、独り立ちすくむことこそ、きっと能が人の命を支えることとの出会いの入口なのであろうと、私は感じてきているからです。
~齋藤かおる「能の祈り 隅田川」(リトルズ)P4-5
世界のからくりが理解できないと、その本質を見誤ってしまうものだ。
短絡的な見方では解決できまい。もっと時空を拡張せねば。
此岸と彼岸を結ぶ船としての、しかもできれば法船としての役割を担うことを、例えば世阿弥などは能に求めたのではないだろうか。
僕は断言したい。何においても「救いは有る」と。
ベンジャミン・ブリテンは能「隅田川」に触発され、「カーリュー・リヴァー」を書いた。
1955年にアジア・ツアーに出る前、ブリテンはウィリアム・プルーマーに日本で何を見るべきかと尋ね、プルーマーは能楽堂を勧めた。こうして、1956年2月、ブリテンは東京で能の『隅田川』を観る機会を得る。人買いにさらわれた無垢な子供が、逃げ出したものの身体をこわし、渡し船で川を渡った後に死ぬ。その母親の狂女が子供を捜しに来て、渡し守が子供の墓に連れて行く。能にあまり期待していなかったブリテンは非常に感動して、帰国後プルーマーに『隅田川』をオペラ化したいと話した。その話はしばらく棚上げになっていたが、1958年末にプルーマーが台本の草稿を書き上げ、ブリテンは熱心な返事を書き送った。そして1959年4月15日、ブリテンはプルーマーに「これをキリスト教作品にするというアイディア」について手紙を書く。「・・・(ここで読むのをやめて&コーヒーを一口飲んで、先を読む勇気を奮い起こしているかもしれないね)。ぼくには日本風の音楽は書けない。・・・でももし、ノルマン征服以前のイースト・アングリア(巡礼地がたくさんある)を舞台にしたら、とても説得力のあるもの(ぼくが個人的に好きな)になるかもしれない」。
~デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P178
翻案としての舞台設定の変更により、「カーリュー・リヴァー」には「隅田川」にないシーンが付加された。
『隅田川』をキリスト教寓話に置き換えるにあたり、プルーマーとブリテンは最後に奇跡の場面を作った。母親が慰めを得ることなくむせび泣く、仏教的で救いのない原作には欠けていたものだ。《カーリュー・リヴァー》では、プルーマーが狂女と呼ぶ母親は(全員が男性で演じられる能を踏襲して、テノールが歌う)不断の希望という報いを得られる。息子が墓の中から歌う声を聴き、息子の霊が現れて母親を祝福し、女は正気に戻るのである。
~同上書P178-179
素敵だ。翻案は、残念ながら真理たる「因果の法則」を捻じ曲げてしまっているが、いかにも西欧的な発想であるハッピー・エンドがここでは相応しいのだと思う。
このオペラに指揮者はいない。
「日本風の音楽を書けない」と表明しながらブリテンの書く音楽は、いかにも単調かつ敬虔で、能楽に極めて近い印象を受ける。彼岸とも此岸ともわからない何という夢幻なのだろうか。
冒頭、修道僧たちによって歌われる(一日の終わりに神への感謝を歌う)賛美歌「光の消える前に」から何とも聖なる時空に惹き込まれる。墨絵のようなこの音楽が舞台の最初に置かれ、最後に観客に向かって魂の平安を歌う合唱が置かれていることこそ無心の「祈り」の表象であり、物語そのものが、人生が、否、世界が「祈り」の中にあることを示唆するようで興味深い。
何より指揮者不在は、奏者に完全に委ねられているということで、それは世界のからくりが自責であることを顕すように僕には思われる。
人が、時空を生きる存在であり、時空を生きることが、関係性を生きることであり、関係性を生きることが、目には見えない繋がりの現実性を生きるということであってみれば、祈りこそは、その目には見えない繋がりの現実性を生きてゆくことの初歩であり到達点でもあるはずです。
~齋藤かおる「能の祈り 隅田川」(リトルズ)P26
「袖振り合うも他生の縁」という。
出会う人・事・モノ、すべてが「善知識」だともいう。
起こるすべては自己の魂の成長のための導きだということを忘れてはならない。
だからこそ願うのではなく、感謝と懺悔の祈りをするのだ。


