
久しぶりに聴いたルイサダのショパンはマズルカに感動する。
ルイサダのショパン「マズルカ作品33, 作品41, 作品50, 作品56&作品59」を聴いて思ふ 兎にも角にも、自由闊達な、新しい方の録音を聴き給え。
ここには、ショパンの激情と哀愁と、祖国ポーランドへの筆舌に尽くし難い慈愛が表現される。おそらくショパン自身がこのように弾いたであろう、と思わせるピアノだ。
すべてがあまりに美しい。
狂気や死にちかい芸術家の作品が一そう平静なのは、そこに追いつめられた平衡が、破局とすれすれの状態で保たれているからである。そこではむしろ、平衡がふだんよりも一そう露わなのだ。たとえばわれわれは歩行の場合には平衡を意識しないが、綱渡りの場合には意識せざるをえないのと同じである。
今宵、私は綱渡りを見なかった。その代りに組合わせた十五の椅子を、口で支えてみせる男や、空中高く同僚の歯に体を吊して煽風機のように身を廻してみせる男や、額の上に十の燭台を重ねて載せ、その上に蠟燭を投げ上げてみせる男や、女を片手の掌の上に直立させてみせる男を見た。
「アポロの杯」
~佐藤秀明編「三島由紀夫紀行文集」(岩波文庫)P116
いわゆる曲芸。これだけの事柄を、三島が描写すると何と高貴な絵になることか。
音楽も然り。
ショパンのマズルカほど演奏する人を選ぶ音楽はない。
ルービンシュタインのショパン「マズルカ集(51曲)」(1965&66録音)を聴いて思ふ
ショパンとサンド 僕は、ルービンシュタインの名盤を聴いて育った。
そして、時に浮気をし(笑)、フランソワの名盤も繰り返し聴いた。
その僕が、最も衝撃を受けたのがこのルイサダの録音だった。
作品17-4の哀愁。
マズルカ作品33-2を聴いてひっくり返った。
これほどにテンポの伸縮があり、しかもそれが生き生きと綴られる、まさに真のマズルカだと思った。
ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2014 10数年前に紀尾井ホールで聴いたマズルカも素晴らしかった。
あんなに可憐で生きたショパンを僕は聴いたことがなかった。
願わくば、マズルカ全曲を実演で聴いてみたいところだ。
