バーンスタイン指揮ウィーン・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第6番ロ短調作品54(1986.10Live)

1939年のドミトリー・ショスタコーヴィチ。
世界は混沌の中にあり、アドルフ・ヒトラーが欧州世界を蹂躙しようとしていた最中にあたる。
(あるいはヨシフ・スターリンがソヴィエト連邦をまるで自分のおもちゃの如く勝手気ままに独裁しようとしていたその頃だ)

当時、ショスタコーヴィチは、交響曲第6番ロ短調を書き上げていた。
長いラルゴ楽章は、ベートーヴェンの「エロイカ」交響曲の第2楽章葬送行進曲やブラームスの交響曲第2番ニ長調の第2楽章を髣髴とさせるもの。しかし、過去の巨匠たちの方法と異なるのは、そのラルゴが第1楽章だということだ。ある批評家は、交響曲第6番ロ短調をして「頭のない胴体」と評した。不釣り合いな、暗澹たる長い楽章の後に続くのは、陽気な第2楽章アレグロとお道化た第3楽章プレストだが、バーンスタインは、そこにこそショスタコーヴィチの天才を見出している。

同じ調性を持つのが、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調作品74であり、しかもその終楽章アダージョ・ラメントーソをひな型とし、パロディとして創造されたのがこの第1楽章ラルゴだとバーンスタインは分析する。欧州の不穏な喧騒を嘆き悲しむショスタコーヴィチの魂が自ずから書かせた音楽だと彼はいうのである。

晩年の一層遅いテンポから繰り出される音楽は、陽気な後半2つの楽章ですら妙な重みがある。それにしても第3楽章プレストでは老眼鏡をかけ、指揮するバーンスタインの、クマが踊るようなダンス姿が面白い(その眼鏡も後半で再び外し、最後はとても嬉しそうにノリノリで音楽をしている)。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54(1939)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1986.10Live)

悲劇をも喜劇へと化すショスタコーヴィチの魔法。
欧州はおろか、ソヴィエト連邦の悲劇すら必然だったのだと言いたいのだろうか。
あるいは、笑うしかないと自虐的になっているだけなのか。

僕らは、信頼、希望、信念について立ち返らないといけない。僕らはみんなそれらとともに生れてきた。しかし、不運なことに、僕らは自分たちが世界の中心であるとも思って生れてきた。すべてのトラウマのなかで、それが最も大きく、最も取り除きにくいものなんだ。そして最も受け入れにくい原理はコペルニクス原理(地動説による宇宙の原理)さ。宇宙は、僕らが考えも付かない大きな何かのなかの小片にすぎず、銀河は、その宇宙の小片にすぎない。太陽系はその銀河の小片にすぎず、この惑星は太陽系の小片にすぎない。そして人はこの惑星の小片にすぎない。
ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P78-79

亡くなる1年間のインタヴューでのバーンスタインの言葉はどれもが意味深い。
パロディを装い、ショスタコーヴィチは「信頼、希望、信念」に基づいて音楽を創造しようとしていたのではないかと僕は思った。少なくともバーンスタインの演奏を聴く限りにお手、その指揮姿を見る限りにおいて僕にはそう思えた。

ショスタコーヴィチの無限 ショスタコーヴィチの無限 ソビエト音楽は決して侮れぬ ソビエト音楽は決して侮れぬ ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第6番(1972.1.27Live)を聴いて思ふ ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第6番(1972.1.27Live)を聴いて思ふ バルシャイ指揮ケルン放送響のショスタコーヴィチ第6番(1995.10録音)ほかを聴いて思ふ カエターニ指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響 ショスタコーヴィチ 第6番(2002.1Live)ほか ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ第6番(1955.5.21Live)&第12番「1917」(1962.1.6Live) ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管 ショスタコーヴィチ 交響曲第6番(1983.12.19録音)ほか

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