
「カラヤンは事実上、眼だけで指揮していました。指揮の真髄とは、実はそこにあるのかもしれません」
「彼は、あの素晴らしい響き、色彩をオーケストラからいつでも引き出すことができたのですが、“タクトを振る”ということに関しては、ほとんど何もしていなかったのです」
(クリスティアン・ティーレマン)
世界は刻一刻と変化する。
スピードが格段に速くなった現代社会において、先手先手で手を打てるかどうかが生き残る鍵になるが、つい胡坐をかいてしまうと後手後手に回り、シェアの縮小につながりかねない。僕たちに必須は「先を読む目」だろう。
人の本性はすべてを包み込む「慈しみ」と先を見通せる「智慧」だそうだ。
心身を清らかに保たないと「慈しみも智慧」も起動しない。
何より大志を抱くことが大切だ。
いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」以降、ベートーヴェンは確実に進化した。
そのことは、交響曲第1番ハ長調と交響曲第2番ニ長調の間の差をみれば明らかだ。
随所に散りばめられる革新的手法、音楽の拡がり、すべてが生命力溢れ、希望に満ちた響きであることを考えると、あの時点でベートーヴェンの意識は間違いなく進化したのだ。
ベートーヴェン:
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2008.12Live)
いかにも独墺系指揮者の繰り出す、何よりカペルマイスター上りの重鎮指揮者然とした典型的なベートーヴェン。遊びがない分、すべての交響曲を聴き通すのに、相応の根気が要ることは確かだ。
カラヤンを理想とするティーレマンの演奏は、正統派であり、聴き方によっては前述のようなマンネリ化、聴き手として自分の中でのマンネリに陥る可能性がある。
しかしながら、入門者にとってはこういうベートーヴェンを聴くことが最も相応しい。
というより、視点を変えた時、ティーレマンのベートーヴェンの本懐が見えてくるのである。
彼の生み出す音響の色彩の秘密は、その根拠は、若き日の枯れの経験にあり、また志向にあることがわかる。
ティーレマンは語る。
ピアノは4歳か5歳の時から弾いていましたが、実は私自身は、オルガンの方がずっと好きだったのです。それでピアノの先生には秘密でオルガンを弾いていました。ところがオルガンはペダルがあったり鍵盤が分かれていたりで、ピアノとはテクニックが違いますよね。それでピアノの先生が何かおかしいと気がついて、止めさせたのです。同時に私は弦楽器にも大変魅了されていました。私の手は大きいですし、それであるヴァイオリンの先生が「ヴィオラをやってみれば?」と勧めてくれたのです。始めてみると、ヴィオラの深い響きにすぐに魅了されました。そうこうしてピアノとヴィオラを弾いているうちに、「オルガン奏者になれないのなら、似た色彩を出せる楽器は何だろう?」と思うようになりました。それに対する答えが、オーケストラだったのです。それで指揮を勉強してみよう、という希望を持つようになりました。
(2009年12月、ベルリン・フィルのホルン奏者サラ・ウィリスとの対話から)
近代オーケストラによるベートーヴェンの最終形をなぞる、重厚かつ意味深い音響が、聴く者を鼓舞する。
特に、初期交響曲が素晴らしい。
ベートーヴェンの革新性が如実に刻印され、第2番ニ長調の清廉さとそれに反するかのような重みは、美しい映像と共に、僕たちの目と耳を楽しませてくれる。
ここには生きることへの希望と、前進しようとする勇気が刻印される。

