
耳疾前後のベートーヴェンは、創作活動に多忙だった。
苦悩と治療の夏は創作活動と同居していた。まずは弦楽四重奏曲(Op.18)の第6曲目(Op.18-6)の作曲作業、および第1番~2番の改訂作業が取り組まれた。さらに興味深いことに、大コンサートで最終稿に達したはずのピアノ・コンチェルト第1番は、第2楽章と第3楽章が出版に向けてなお改訂された。以上は、使用期間から「1800年夏」と名付けられたスケッチ帖に痕跡(それ以前のOp.17等も含む)が遺っている。それらが秋口に片付く以前から、新しいスケッチ帖「ランツベルク7」でシンフォニー第2番が開始されるが、第1楽章をかなりスケッチした後に《プロメテウスの創造物》の委嘱を受けた。1800/01年冬はその作曲が中心となる。しかしそれだけではなく、1800年夏/秋から1801年初めにかけてはヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調(Op.23)、第5番ヘ長調通称《スプリング》(Op.24)、ピアノ・ソナタ第12番変イ長調(Op.26)、第13番変ホ長調(Op.27-1)が並行して、あるいは順次に、作曲される。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P474
創作意欲もそうだが、これだけの創造力を発揮するベートーヴェンの天才に言葉がない。
ジャンルが多岐に亘ることと、耳の調子が悪かったゆえに外部との接触をできるだけ避け、逆に自身の内面に向き合うことになり、神秘的な創造力が一層増すことになったのか、大変な才能だと思う。
青年ベートーヴェンの生み出した傑作たち。
後の交響曲第5番と第6番「田園」の双生児と同じく、性格の異なる2曲を同時に作曲するベートーヴェンの二極を示す。
片や情熱的で、暗い情念を秘めるのに対し、一方は牧歌的で明朗快活な開放性を示す。
(おそらく二面を同時にアウトプットしないと内面を統合することができなかったのだろうと思う)
シェリングのヴァイオリンは、例によって中庸。どちらの作品も正統派の、踏み外しのない安心感ある名演奏。
ヘブラーの伴奏も出しゃばらず引っ込み過ぎず、しかし、さすがにベートーヴェンのピアノ・パートであり、ソナタの骨格を重心低く見事に支えるもの。
両者が相互に感応し、真のベートーヴェンを奏でる、そんな印象を受ける。
シッダールタの心の中で、いったい知恵は何であるか、自分の長い探求の目標は何であるか、ということについての認識と知識が、徐々に花を開き、熟していった。それは、あらゆる瞬間に、生活のさなかにおいて、統一の思想を考え、統一を感じ呼吸することができるという魂の用意、能力、秘術にほかならなかった。徐々にそれが彼の心の中で花を開き、ヴァズデーヴァの老いた童顔から反射した。すなわち、調和が、世界の永遠な完全さの認識が、微笑が、統一が。
~ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「シッダールタ」(新潮文庫)P167
まもなくベートーヴェンも花を開く。
ムター&オーキスのベートーヴェン「スプリング・ソナタ」を観て思ふ
千住&ハイドシェックのスプリング・ソナタ 